この事件の顛末は主役の美輪明宏さんが度々メディアで発言しているのでそれを読むと面白い。美輪さんは僕が怒ってトラックで舞台美術を積んで持って帰ってしまったので、舞台は空っぽ。仕方ないので、自分の家から家財道具一式を持ってきて、それで舞台を作った──と。僕は見てないので本当かウソかはわからない。だけどこの舞台美術放棄事件を機に美輪さんと親しくなった。
「あんな若いのに、自分の作品にノコギリを入れようとする人間は許さない、と自分の意志をつらぬき通したヨコオちゃんは大した芸術家よ」と一番の被害者の美輪さんが僕を擁護してくれた。まあこんな事件が起こったのもあの60年代の熱い時代の熱い人間の集団だったからで、今だったら、全員が妥協して、まあ、まあで事は過ごされたことでしょうね。
寺山修司が家でエッセイを書いているのを見たことがある。一本書く間に何度も立ち上って本棚から次々と本を引っ張り出して、パラパラとページを繰って、本文から、文章を引用する。どの本のどこに何が書かれているかを記憶していて、引用した文と自筆の文を上手くコラージュして創作していくその手際のよさにはまるで魔術か錬金術を見ているようで、この方法論はイタダキと思ったものだ。
また、わが家にくると本棚の本を片端から家宅捜索をするように一冊ずつ、「あッ、これ俺も持っている、これは知らない」と言いながらチェックしていく。自分に対する興味しかない僕に比べると彼は他人への関心がウォーホル並みだった。こうした彼の他者への関心が、他人の家の台所から家の中を覗いたことから、家人に警察に通報されて逮捕されたこともあった。彼の演劇の原点はどうやら他者への関心から創造されたもので、彼は現実をフィクションにしてしまう天才だった。生きている母親まで殺したりしてしまうんだから。
1969年、寺山は僕がニューヨークに旅行中に、友人を集めて、妻も喪服姿で参列させられて、知らない間に僕のお葬式を青山の知らない家の墓の前で演出してしまった。
彼に会った時、自分の寿命は15年しかないと人生の時間を限定していたけれど、予告通りに逝ってしまった。どうせ短い人生だ。短命な寿命を全うするためには好きなことをして遊べばいい。そこに彼の芸術行為の原点があったように思いますね。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年3月18日号