■成長への欲望を求めて
IBMでのキャリアが10年に差し掛かったころ、ヘッドハンターから接触があった。「アマゾンが日本でAWS事業の立ち上げをやる人材を探している」
アマゾンが米国でAWSを始めたのは06年。玉川は「ネットで仮想のサーバーが買える時代になったのか」と感心していた。まさか自分が関わるとは思っていなかったが、絶頂期から一気に下降線をたどり始めた日本IBMの中で、成長に貢献している感覚を味わえなくなって久しい。欲求を抑えられなくなっていた玉川は移籍を決断する。
玉川に与えられたタイトルは「AWSエバンジェリスト(伝道師)」。だが、米国でのAWSの普及ぶりを知る人は少なく、最初は「なんでウチが本屋のサーバーを使わなきゃいけないの」と冷たくあしらわれた。
だが情報感度の高い三井物産、リクルートなどが利用し始めると、玉川の伝道の努力もあり、顧客は爆発的に増え始めた。玉川は東京と米シアトルを行き来し、AWSのCEOアンディ・ジェシーやアダム・セリプスキーの薫陶を受けた。
日本のAWSには玉川のように、IT業界で実績を上げた凄腕(すごうで)エンジニアが集結していた。
■金融とかを攻めないと
その一人が後にソラコムの共同創業者になる安川健太。東京工業大学大学院理工学研究科を修了し、08年にスウェーデンの通信機器大手エリクソンに入社。研究部門でモバイル通信やIoTの開発に携わり、玉川の2年後にAWSにやってきた。
14年のある日、2人でシアトルのレストランでシーフードとビールを堪能しながら、日本でAWSを売る方法を考えていた。
「もっと金融とか通信とかさ、ミッションクリティカル(機密性の高い領域)なところを攻めないとダメだな」
AWSの利便性は日本にも浸透していたが、銀行の勘定系システムや政府の基幹システムのような、壊れては困る領域を任せられるところまでは信頼されていない。そんな玉川の言葉を受けて、安川が言った。