これに対してプーチン氏は、魚市場は早朝であっても訪問すると回答。企業のショールームについては、日本側が示したトヨタ、松下電工(当時)、INAX、東京電力の電力館といった選択肢のうち、トヨタオートサロンを希望していた。自動車好きのプーチン氏らしい選択だ。
興味深いのは、このときプーチン氏が日本側に説明した自身の経歴だ。
「大学卒業後 軍隊勤務(この間東独にも勤務)」とある。
もちろん、これは事実と異なる。プーチン氏が大学卒業後に勤めたのは国家保安委員会(KGB)だった。東ドイツでは、KGBのドレスデン支局に勤務していた。
94年の時点では、プーチン氏はKGBの経歴を隠していたのだ。
趣味については、柔道と共に、コンピューターを挙げている。「市役所に導入されたコンピューター・センターに興味を持って、ひまな時間に手ほどきを受けている」とのことだった。こちらは柔道と異なり、その後長続きしたかどうかは不明だ。
ロシア・ウオッチャーとして見逃せないのが、プーチン氏の日程案の欄外にある日本外務省担当者による書き込みだ。「Igor Setchine 副市長室長、官房長」とある。おお、イーゴリ・セーチンの名前がここに!
プーチン氏の最側近として知られるセーチン氏は、大統領府副長官や副首相としてプーチン氏の傍らに寄り添い、今はロシア最大の国営石油会社ロスネフチの社長に納まっている。95年当時から、プーチン氏の日程調整を預かる立場だったことが分かる。
今から30年近くも前に、プーチン氏を日本に招待しようと考えたのは、当時サンクトペテルブルクで勤務していた日本の外交官だ。プーチン氏を選んだ理由は、彼がサンクトペテルブルクを欧米企業に開かれた都市にするために多大な貢献をしたからだった。
ソ連崩壊から数年のうちに、サンクトペテルブルクには欧米企業や銀行の支店や現地法人が次々にオープン。その実務を手がけたのがプーチン氏だった。