プーチン氏が1995年に日本を訪問した際の日程。情報公開制度で入手した
プーチン氏が1995年に日本を訪問した際の日程。情報公開制度で入手した

 大阪に滞在中の2月24日午前、プーチン氏は大阪市港湾局を視察した。ロシア最大の港湾都市サンクトペテルブルクの副市長として、日本の港湾事情に関心を抱いたのだろう。

 当時大阪市港区築港2丁目にあった港湾局の玄関でプーチン氏を迎えた職員は、こう振り返る。

「車やタクシーで来たのであれば、車寄せで降りるのが私の目に入るはずだ。でも、気がついたら通訳と2人で、とことこと歩いて入ってきた」

 プーチン氏は、大阪・中之島のロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)に宿泊していた。車を使わなかったとすれば、ホテルから20分ほど歩き、地下鉄中央線の阿波座駅から大阪港駅まで4駅、約10分地下鉄に揺られたことになる。

 大阪の公共交通機関を体験したいと思ったのかも知れない。当時のプーチン氏であれば、ロシア国内で普通に地下鉄を使っていたとしても不思議はない。だが今となっては、ちょっと想像がつかない光景だ。

 この証言を聞いた後、筆者は情報公開制度を利用して、外務省に残されているプーチン氏訪日に関連する記録を入手した。そこからは、まだ誰からも注目されることもなく、自らを演出する必要もない時期にプーチン氏がのぞかせた素顔を知ることができる。

 訪問の約4カ月前の1994年10月、希望する訪問先について聞かれたプーチン氏は、以下のように答えていた。

 まず東京では、講道館、経済団体の日ロ委員会、歌舞伎鑑賞。

 講道館については「本人は20年以上柔道を続けており、有段者。本場の稽古ぶりを見学したい」と要望していた。柔道愛は、やはり筋金入りだったと言えそうだ。プーチン氏は実際、到着日の午後、早速東京・春日の講道館を訪れている。

 大阪では、市役所やロシア総領事館の表敬と併せて、「大阪港と港湾管理当局」を希望していた。先述の大阪市港湾局の訪問が、プーチン氏本人の希望で実現したことがわかる。

 日本側からはその後、日程に余裕があるので、築地の魚市場や日本企業のショールームを見学してはどうか、とプーチン氏に提案している。

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