この暴力行為により、大沢監督は7日間の出場停止処分を受けたが、竹村もこの事件を境にまったく勝てなくなり、翌77年、阪神に移籍するも1年で退団。現役続行を望んだ竹村は、なんと、自ら志願して「テストを受けさせてほしい」と大沢監督に頭を下げた。内心竹村をずっと気にかけていた大沢監督も「合格目指して頑張れや」と78年1月17日からテスト生として多摩川の自主トレに参加させた。
さらに2月の鳴門キャンプ移動前に合否を決めるよう通告してきた球団に対し、「どうせなら鳴門まで連れて行って、ゆっくり実力のほどを見てやりたい」と異を唱え、「キャンプ費用もオレが出してもいい」と提案するなど、特別の計らいを見せた。
竹村は最終的に「個人の情は別として、チームの戦力として必要ではない」という判断から、不採用になったが、おそらく、球団と談判してまでキャンプ地に連れて行ってくれた親分の男気に感じ入り、納得して結果を受け入れたことだろう。(文・久保田龍雄)
●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。