現代美術の主流はコンセプチュアルアートです。この種の作品に関してはわかる、わからないが前提になるかも知れません。知的で頭脳的です。このような作品の前では確かに、わかる、わからないが問題になるかも知れません。一般大衆の中でも観念的な人達は多いと思います。このような人達を対象にすると、わかる、わからないという問題が問題になるでしょうね。すると人類の中でも観念的なタイプの人間と感覚的な人間に分かれます。僕はどちらかというと感覚的な人間です。物事を肉体的にとらえるタイプです。
コンセプチュアルアートの中にも感覚的な人もいます。また感覚的な人の中にもコンセプチュアルな考えをする人もいます。絵がわかる、わからないは、創る側にもありますが、見る側の人間の問題でもあると思います。観念的な観賞者はコンセプチュアルを好みます。そしてわかることで作品を理解します。一方、感覚的な人は理解のレベルを越えて作品を観念や論理や思想を越えて魂で感応します。
だけど美術教育はやはり知識を優先します。絵は僕みたいにわからなくていいという指導者はいません。世の中はわからない物だらけだけれど、それじゃ困る、なんとかわからせようとします。わからないものが存在するのは危険なのです。とにかく解明するために科学を導入して、この世からわからないものを追放しようとします。ところがわれわれの住むこの地球はわからないものだらけです。そのわからないものに科学的メスを入れて、わからせようとしています。わからないものがこの世に存在することは不気味なんです。
わからないものはわからないでいいじゃないかというのが僕の態度です。人類は全て解明したかのように思っていますが、とんでもないわからないもので満ちあふれているのです。だから僕は絵を描くのです。絵を描くことはわからないものを解明する作業というより、もっとわからない深淵にどんどん降下していくことです。そしてその果てに宇宙があるのが微かに感じとれます。つまり絵を描くということは宇宙を相手にすることのように思われます。宇宙の謎は自分自身の謎でもあります。
絵がわかるか、わからないかの話が飛躍して宇宙の話になってしまいましたが、何しろ絵を描くということは創造することですから、当然宇宙の創造とリンクします。絵とかかわることは広大無辺な宇宙を共有することです。だから、わからなくてもいいのです。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2022年4月1日号
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