立ち仕事の板前から道を変え、今は都心で事務の仕事に就く川瀬さん。
「特に駅のエスカレーターは、歩く人がとても多いですよね。ぶつかられると転んでしまうし、下りだと転落する危険があるので怖いですよ。板前のころは自転車通勤で、プライベートも車移動が大半だったので、通勤時の駅はこんなにエスカレーターを歩く人が多いのかと驚きました」
本心は、右側に立ち止まって力の入る右手で手すりを持ちたい。ただ、右側空けの慣習が根付いている状況で、立ち止まる勇気が持てない時もある。
事情を察してもらうためにヘルプマークをつけているが、そうそう気づいてもらえないのが現実だ。
「エスカレーターが混んでいないときは、少し左寄りに立って、右手を伸ばして手すりをつかむようにしています。後ろから人が歩いて来たら、右手を離して通れるようにするときもあります。埼玉県内は条例ができたので気持ちとしては少し楽ですが、都心は重圧を感じます」
コロナ禍で在宅勤務が増えたとはいえ、気を使いながらの通勤が続く。
■「罰がないからやりません」に疑問
埼玉県の条例は違反しても罰則がなく、実効性を疑問視する声は施行前からあった。川瀬さんは疑問を口にする。
「身体の不自由な高齢者や、子どもでも障害などで配慮が必要な人はいます。罰がないからやりません、で良いのでしょうか」
リハビリをした病院で、懸命な患者たちの姿を見てきたからこそ、思いは強い。
川瀬さん自身、脳出血後に医師から、歩くことはもうできないと告げられた。
「心が折れましたよ。妻と小さな子ども2人。これからどう生活していけばいいのか、目の前が真っ暗になりました」
左半身は手足に力が入らず、ベッドから車いすに移る練習も、うまくいかない。それでも当時、小学校低学年だった長女にこう話した。
「小学校の卒業式には歩いていくよ」
幼い娘は何の話かよくわかっていなかったが、父は再び歩くことをあきらめなかった。
学生時代はスキーでインターハイに出場し、体力に自信のあった川瀬さん。「本当にきつかったです」と今も顔をゆがめて振り返るほどのリハビリを経て、何とか立てるようになったという。
「真っ暗闇」の状況で、大きな気づきもあった。