なお91年まで現役を続けたサンドピアリスだが、その後は勝ち星を挙げることができず。それでもエリザベス女王杯を勝った京都競馬場は相性が良かったのか、90年の京都大賞典ではスーパークリークと僅差の3着、引退レースの京都記念でも2着と善戦していた。
配当や人気という点では前述の2頭に及ばないものの、2009年のエリザベス女王杯を11番人気で逃げ切ったクィーンスプマンテは「展開のアヤ」という競馬の恐ろしさをこれ以上なく証明してみせた。
この年の女王杯の主役は、桜花賞とオークスの牝馬二冠を制したブエナビスタ。翌年以降も天皇賞(秋)やジャパンカップなどを制した名牝として歴史に名を残した女傑だ。このレースではブエナビスタは後方4番手あたりに待機。当然、ライバルたちもブエナビスタを負かそうと徹底的にマークして仕掛けどころをうかがっていた。
その間にハナを切ったクィーンスプマンテと2番手追走のテイエムプリキュアは3番手以下を引き離しての大逃げ。だが11番人気と12番人気の動向に騎手もファンもそこまで注意を向けていなかった。現にレース実況も3コーナーで前2頭が20馬身以上も離す展開にも「問題は3番手だ」と言っていたほどだ。
だが残り600メートルを切っても差が縮まらない展開にスタンドはどよめき始め、安藤勝己騎手のブエナビスタも遅ればせながらまくりに行って4番手近くまでポジションを上げて直線に入る。しかしこの時点で勝負は決まっていた。クィーンスプマンテは最後まで先頭を譲らずゴール。ブエナビスタは上がり32秒9の鬼脚を繰り出したが2着のテイエムプリキュアにクビ差まで迫るのが精いっぱいで、まさに「これが競馬の恐ろしさだ」と実況が伝えたとおりだった。
クィーンスプマンテはこの女王杯までほとんど重賞を走ったことがなく、2走前に札幌で長距離のOP戦を勝ったのが主な実績。女王杯後は香港カップに遠征して10着に敗れたのがラストランだった。