ちなみに人気薄でG1を制した当時は一発屋と思われた馬でも、その後もしっかり活躍した例はある。2000年に16頭立ての最低人気でスプリンターズステークスを勝ったダイタクヤマトは、続くスワンステークスで連勝。マイルチャンピオンシップも4着と健闘してこの年の最優秀短距離馬に選ばれると、翌年も阪急杯を勝った。つまりは大器晩成だったということなのだろう。
92年の宝塚記念を逃げ切ったメジロパーマーも当時は障害競走帰りの馬が一発当てたという評価だったが、暮れの有馬記念でも15番人気で再度の逃げ切り。翌年も阪神大賞典を勝ち、メジロマックイーンとトウカイテイオーの対決で沸いた天皇賞(春)もハイペースの大逃げでライスシャワーのレコード勝ちを誘発。3連覇がかかっていたメジロマックイーンを最後まで脅かしての3着に粘り、実力の高さを証明してみせた。
2000年代後半のマイル~中距離路線で名脇役だったカンパニーは、8歳となった2009年に覚醒した超遅咲き。秋初戦の毎日王冠で大本命の名牝ウオッカを従来の後方待機策ではなく好位からの差しで2着に下したが、この年の宝塚記念まではG2までは勝てるがG1では馬券にならないトライアルホースだったこともあり、天皇賞(秋)でも5番人気どまり。だがここでもスクリーンヒーロー、ウオッカ、オウケンブルースリら骨っぽいメンバーを32秒9の末脚でなで斬りにし、待望のG1初制覇を達成する。しかも引退レースとなった続くマイルチャンピオンシップも勝って有終の美を飾る完璧な引き際だった。
ここで取り上げた以外にも、ダービー後は鳴かず飛ばずだったワンアンドオンリーや、天皇賞(春)が生涯唯一の見せ場だったイングランディーレやスズカマンボ、ビートブラックらや、日本では交流重賞を勝ったのが目立った程度ながら昨秋に米G1ブリーダーズカップディスタフで日本調教馬初の海外ダートG1馬となったマルシュロレーヌらも歴史に名を残した一発屋と言っていいだろう。