20代、30代のころとは大違いです。あのころはみんなエネルギーがあり余っていましたから、舞台が終わったら毎回大宴会。翌日の仕事が9時からだったら「なんだ8時55分まで飲めるじゃないか!」って、朝まで平気で飲んでました。皆で楽しくお酒を飲むために舞台をやってるんだという勢いでしたからね。
■大阪の実家を家出同然で飛び出して劇団入り
劇団を旗揚げしたのは1984年。設立からのメンバーの柴田理恵や佐藤正宏などとは、その前の劇団「東京ヴォードヴィルショー」から一緒ですから、もう40年くらいの付き合いになります。
東京ヴォードヴィルショーは佐藤B作さん主宰なんですが、初めて舞台を見てめちゃめちゃ面白くて、私も舞台に立ちたいと思ったのが、この世界に入ったきっかけです。
大阪の実家から家出同然で飛び出して、“押しかけ入団”したんです。劇団員は応募してませんし、私自身も演劇の経験はなし。やる気だけは人一倍ありましたけど、稽古では怒られてばかり。給料もなかったので、食うや食わずの貧乏生活でした。それでも、つらいとはあまり思いませんでしたね。劇団の中にいられるだけで楽しかったんです。当時の貧乏暮らしも今となってはいい話のネタになってます。
両親は最初のときこそ心配してましたけど、その後はすごく応援してくれていました。テレビにも少しずつ出るようになったんですが、ほら、私のギャグって少し下ネタが多いでしょう?(笑い)。
「女なのによくそこまでやるな」とか「下品で好きになれない」なんて引かれてしまうこともありました。私は面白いと思ってやってたし、注目されてナンボだという気持ちでやってたんですけど、あまりに批判されて悩むこともありました。
そんなとき母が「10人に嫌われても、1人わかってくれる人がいればいい」というようなことを言ってくれたのが、すごく励みになりました。
この言葉はいまでも私を支えてくれる大切な言葉の一つです。