小林さんは20歳頃から小説家を目指していた。自身が心揺さぶられた作品には人間の負の部分が描かれていた。そこを書かなければ美しさも出てこない。野口さんをどこまで書くか迷いはあったが、本気で書くなら自分のこともさらけ出さないと礼を失すると考えた。

「家庭もあるし、今は普通のサラリーマンですから怖かったですね。でも思い切って、困窮したことや精神科に入院したことを書いたら、連動するように野口さんのことも踏み込んで書けた。僕としては二人で並走した感じがありました」

 野口さんは「俺が原稿をチェックしたら面白くなくなるから見ないよ」と言い続けた。何度も書き直し、3年かけて初の著書を完成させた。

「この本を書くことによって、自分の人生には意味があったと思えるようになりました」

 と小林さん。開高健ノンフィクション賞の最終候補に残った作品だ。(仲宇佐ゆり)

週刊朝日  2022年4月15日号

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