『どもる体』を編集した医学書院の白石正明(64)は次のように語る。
「伊藤さんの『身体論』の特徴は、意のままにならないもの、コントロールできないものとどう付き合うかです。つまり振り回す主体に焦点が当たっているのではなく、振り回される主体に焦点が当たっている。その圧倒的な『やられ感』こそが伊藤さんの真骨頂で、その位置取りの新鮮さこそが、他の身体論を一気に追い越しているのではないでしょうか」
『記憶する体』でインタビューされた森一也(48)は、伊藤を「静かで奥深い観察眼と傾聴力を持っている」と感じたという。
森は17歳のときにバイクに2人乗りして事故に遭い、その衝撃で左腕の神経叢(しんけいそう)引き抜き損傷を負った。網状になって脊髄に付着している腕の神経が抜けてしまう損傷で、物理的に左腕はあるが、左腕半分と指が麻痺しており、30年にわたって消えることのない痛み、つまり幻肢の痛みと向き合ってきた。
体の固有性について
簡単な言葉で考えたい
最近、VR(バーチャルリアリティー)を利用して、自分の麻痺した左腕と、バーチャル空間に現れた健康な手の動きをシンクロさせたところ、そのバーチャルな手を自分のものだと感じることで「両手感」を取り戻し、24時間苦しめられていた痛みが消えた。伊藤はこれを、〔私たちの想像を超えて作用する記憶と体の関係をつなぎなおすこと〕と表現した。森は伊藤のことをこう話す。
「自分もピタリと当てはまる言葉を持ち合わせていないから、伊藤さんとの会話は、最適な言葉が吸着するような感じでした。“生きづらさ”や“不自由さ”の中で柔軟に生き、編み出してきた創意工夫に対して、伊藤さんは過度な賛美も憐れみも無い。多くを語り過ぎず、ちょうどよい客観性を欠くことがない。読者に理解の種を芽吹かせてくれるんです」
別の日に伊藤が、吃音の女性にインタビューする機会に立ち会った。伊藤は相手の話が逸れていっても止めることはなく、ときたま頷(うなず)く程度で、相手の言い分を静かに聴いていた。英語圏やフランス語圏での生活が長かった女性が、「私にとっての吃音は、外国語と日本語を切り替えるときの感覚のズレみたいな感じです」と説明すると、伊藤は「外国語で話をするときって体の中で言葉を探しているもんね」と笑った。