調査する相手の障害や病の状況に合わせて30分から2時間くらい会話する。

「いつもそこに寝るもいれば、日向(ひなた)が好きな猫もいるし、寝るときの丸まり方とか、妙なこだわりがあったりするじゃないですか。そういう理由がないことをいっぱい体はやっている。説明できることもあるけれど、説明できないこともいっぱいあって。理由がないところを私は理解したいし、本人にも解釈してほしい」

 さまざまな障害者と関わるが、そこには福祉的な「治す」という視点はない。障害や病気を歴史的に「医学モデル」で考えると、個人の体が悪いから治しましょうという発想になる。けれども、社会の方に問題があるから障害のある人が生きにくいんだという「社会モデル」という発想が徐々に主流となってきた。

「たとえば、(先人たちが)吃音の体を社会に受け入れてほしいと闘ってきたおかげで、今いろんな制度が整っていると思うけど、一方で吃音の人が、治せるなら治したいと思う気持ちとか、言い換えをする努力とか、社会モデル的にはあまり歓迎されない体との向き合い方なんです。でも、そこにいいも悪いもなくて、現実をそうやって生きているから、矛盾と言われるかもしれない領域もちゃんと言葉にしていかないと、社会がいくら変わっても、ままならない体だけが取り残されるだけになっちゃう」

 体の固有性について語る言葉は実は少ない。今の伊藤は、その道具を作っているとも言える。インタビューを通して聞いた話を、研究者として違う角度から整理し直し、それをアカデミックに展開したり、道筋を作ったりできたらと考える。

「簡単な言葉で考えたいんですよね。難しい言葉でややこしいことを言うのはすごい簡単なんですけど、簡単な言葉のほうが難しい言葉で言えないことが言えるっていうところがある」

 子どもの頃、「風の谷のナウシカ」が好きだった。研究者のイメージはナウシカだという。不毛の地と化した大地や人類を新しい「価値」をもとに再生させていく。伊藤の営為から現代のナウシカを連想しても、大げさではないと思う。(文中敬称略)

95年 東京学芸大学附属高校に進学。

2010年 東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻美学芸術学専門分野を単位取得の上、退学。同大学で博士号を取得(文学)。『美学への招待』等の著書がある美学者の佐々木健一に学ぶ。大学院生時代に妊娠、出産。

13年 日本学術振興会特別研究員を経て、東京工業大学リベラルアーツセンター准教授に着任。

15年 『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)を出版。

16年 『目の見えないアスリートの身体論──なぜ視覚なしでプレイできるのか』(潮新書)を出版。

18年 『どもる体』(医学書院)を出版。

19年 『記憶する体』(春秋社)を出版。3月から8月まで、マサチューセッツ工科大学客員研究員。

20年 『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『ひび割れた日常──人類学・文学・美学から考える』(奥野克巳・吉村萬壱との共著/亜紀書房)を出版。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センターでセンター長を務める。一連の著作でサントリー学芸賞を受賞。

21年 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院、科学技術創成研究院教授。『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『きみの体は何者か──なぜ思い通りにならないのか?』(ちくまQブックス)、『「利他」とは何か』(中島岳志・國分功一郎らとの共著/集英社新書)を出版。

(文・藤井誠二)

1965年、愛知県生まれ。ノンフィクション作家。『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』で沖縄書店大賞沖縄部門受賞。最近刊に『沖縄ひとモノガタリ』(琉球新報社)。

AERA 2022年4月18日号