馬場さんはアメリカではアクティブだけど、日本にいるときのオフは正反対だね。家にいて読者をしたり、絵を描いたり。中でも特に好きだったのはドラマ「水戸黄門」だ。シリーズで転戦している間に録りためたものをずっと観ているのが楽しみだって言っていたよ。あの分かりやすい勧善懲悪の話が好きだったんだろうね、馬場さん自身は悪役の頭目みたいな顔しているのにね(笑)。
外国人レスラーは、日本での試合を結構楽しみにしていたと思うよ。宴席に呼ばれてサインとかすると“ご祝儀”がもらえるからね。普段はファンからサインを求められても邪険にしているレスラーも、ピシっとした恰好の人が来ると「これは、あるな」と気づいていたよ(笑)。アメリカのレスラーは「ホテルのコーヒーが一杯700~800円もするんだぜ!? 信じられるか?」という、お金でビックリした話を一日中するくらい金にはシビアだったからね。アメリカにいるときは、自分の車でモーテルに泊まって、会場まで移動しなきゃいけないけど、日本に来るといいホテルを手配してくれるし、ギャラはいい。金がかかるのは飯代くらいだから、残そうと思ったら結構な額が残せる。それで、スタン・ハンセンなんか、引退しても悠々自適な生活が送れているだろう。それに、ポスターやパンフレットでの扱いもよくて、いいものを刷ってくれるからモチベーションも上がるよ。
俺自身の話に戻ると、人にしてもらって嬉しかったのは、相撲時代、21歳で新十両に上がったとき。地元の福井・勝山市の市民会館でお披露目をして、超満員の人が集まったくれたことだね。俺は勝山市の中心地から離れている田舎の生まれで、祭りや買い物にもバスに乗って中心地まで行っていた。そんな場所で、後援会が中心となって、地元の名士や社長をはじめ、市民のみなさんを集めてくれて「勝山市から出た嶋田が新十両になって、天龍になります」とお披露目してくれるわけだ。なぜここまでやってくれたかというと、十両に上がると新聞や場内アナウンスなどで「福井県勝山市出身」と出身地を言ってくれるから、地元のPRにもなって、市長をはじめ行政も動かしやすいんだよね。それでも俺のために地元の大勢の人に集まってもらって、本当に嬉しかった。