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 作家・画家の大宮エリーさんの新連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんだろうと考えます。養老孟司さんとの対談を終えて、大宮さんが思うこととは。

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 同窓生ということで、憧れの養老先生とお話しした。養老先生みたいな、「挫折? ないねぇ」という天才がいるのが東大のすごさなんだよなぁとつくづく。そして、養老先生みたいな、研究室でトガリネズミを飼って、三四郎池で餌を調達しているような、おもしろい変人がいるのも、東大のおもしろさなのである。

 ここからがあまりいないのだけれど、養老先生は、東大の物差しを、ぶっ壊しながら生き、東大という枠組みのなかで、これが偏ったものだという認識を持ちながら、社会に対して新しい風を起こしてきた。こうしたひとがもう少し増えたら、世の中がちょっとよくなるのに、と思う。

 偏差値教育にしても、数字で測るのはよくないと言われ続けているけれど、それが改まることもない。理由は楽だから。

 なかなか改まらない悪しき習慣。ならば、うまく世の中の古い枠組みに、わかっていながらあわせたり、あわせなかったりして泳いでいくしかないのではないか。受験では、“答えは一つの世界”を生き抜きつつも、これは世に出ると真逆で、“答えは一つではない”になることをわきまえながらとりあえず頑張るという具合に。また、何事も絶対はないわけで、東大はおもしろいところであっても東大だけがそうなわけでもない。

 先生は「化学は苦手なんですよ」とおっしゃっていた。その理由として、「私が感じている世界と感覚的につながっていない」と。分子は見えるわけでもない。例えば、H2Oという化学式と、そして手にとったときの水。水は身近にあるから、この化学式を、これなのかと体験ができるけれど、このギャップを全てに関して、埋めていくのは難しい。そうすると学問がどんどんリアルとかけ離れていく。そのことをどこかで自分で認識しながらいかないと、机上の空論を実感がともなわないままリアルのごとく振りかざし、世の中からのギャップがとてつもないものになってしまう危険性もある。

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