経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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ウクライナ情勢が凄惨(せいさん)を極める中で、日本の改憲論者たちが鼻息を荒くしている。ここぞとばかりに、軍備増強を主張し、核共有まで言い出している。この便乗行動のあつかましさと不謹慎さには唖然(あぜん)・茫然(ぼうぜん)だ。
折しも、憲法記念日からほぼ1週間の今、改めて日本国憲法の前文に思いが及ぶ。そこには、次のくだりがある。「日本国民は(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
いつ読んでも、この決意表明には胸が打ち震える。他者を信じて疑わず、そこに自分の安全と生存を委ねてしまう。何たる勇気。何たる清廉。
ところが、かの安倍晋三元首相は憲法前文のまさしくこの部分について、「つまり、自分たちの安全を世界に任せますよと言っている」とネット上で指摘した。そして、そのことが「いじましい」「みっともない」という認識を披露している。
筆者が至高だと考える決意表明を、アホノミクスの大将は最も忌み嫌っている。これは、筆者にとって大いに得心のいく構図だ。彼我のこの認識格差が、アホノミクスの大将の本性をあまりにもよく指し示している。彼が言う「いじましい」「みっともない」は、そのまま、ウクライナ情勢便乗型の軍備増強論者たちにぶつけ返したい。この軍団の先頭に立っているのが、アホノミクスの大将その人だ。
憲法前文はさらに次のように続く。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
ウクライナの人々が、今まさに専制と隷従を拒絶し、圧迫と偏狭を跳ねのけようとしている。その人々と連帯し、国々の間の信頼に自らの生存を委ねる決意を改めて宣言する。そうしてこそ、日本は共生を目指す国際社会の中で名誉ある地位を占めることができるのである。
憲法前文は、その終盤部分で「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とも言っている。
便乗軍団は、他者を無視するどころではない。他者の不幸を自己正当化のために利用しようとしている。断じて許せない。
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
※AERA 2022年5月16日号