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 沖縄が日本に復帰して5月15日で50年を迎える。これからの沖縄についてお笑いコンビ「ガレッジセール」ゴリさんに聞いた。AERA 2022年5月16日号の記事を紹介する。

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 子どもの頃から「復帰っ子」と呼ばれて育ちました。この年齢になると、特別な意味を感じ、少しでも沖縄の役に立てれば、と考えるようになりました。

 今でこそ沖縄出身に引け目を感じませんが、僕が大阪の小学校に転校した1979年頃は、沖縄の言葉を話すのも恥ずかしく、教室でじっと座っていた記憶があります。東京や大阪の人に会うのは、芸能人に会うような緊張感がありました。

 23歳で芸能界に入り、川田(広樹さん)とコンビを組んで東京で活動するとき、「方言では勝てないから標準語で勝負しよう」と決めました。川田は中学の同級生でずっと沖縄の方言で話してきたのに、プライベートも標準語に切り替えました。なのに、僕らに回ってくる仕事は沖縄ロケが必須。安室奈美恵ちゃんたち沖縄出身アーティストの人気が出て、「沖縄ってかっこいい」というムードに世の中が変わった。隠そうとしていた「沖縄」が、僕らを救ってくれたんです。

 両親は沖縄戦体験者です。母親は激戦地の糸満市出身で、6~7歳のとき、祖母に手を引かれ、戦場を逃げ惑ったそうです。食べ物も飲み水もなく、ふらふらの状態で遺体を遺体とも思わなくなった、と言っていました。

 父親がポロッと、「いずれ沖縄戦を撮ってもらいたい」と僕に言ったことがあります。もしやるなら、腹を据えていろんな角度からの見方を投影しないといけない。本土の捨て石にされた沖縄の悲しみもあれば、その沖縄に出征しなければならなかった兵士の悲哀もあるはずです。全員が怯(おび)えながら同じ場所で狂ったような殺し合いを始めるわけですから。戦争さえ始めなければ誰も加害者にも被害者にもならなかったのに、と思います。

 4月28日に初めての小説『海ヤカラ』(ポプラ社)を出しました。米軍統治下の沖縄で10歳の少年が主人公です。復帰前の沖縄は、米軍関係者の車が沖縄の女性をひき殺しても裁判で無罪になる時代です。理不尽な状況を経て、復帰があったことを伝えたいと思いました。

 復帰50年をどう思うか? 沖縄の人たちの中にはお祝い気分にはなれず、「復帰50周年」と言わない方もいます。全国の米軍基地の70パーセントが沖縄に集中し、米軍関係者による事故や事件もいまだに起きています。沖縄県民だけでなく、本土の皆さんも一緒に沖縄の日本復帰とは何だったのか、を考えてもらえるとうれしいです。

(構成 編集部・渡辺豪)

AERA 2022年5月16日号