イラスト/もりいくすお
イラスト/もりいくすお

 楽屋に戻ると何やら左足の裏に違和感。ガムを踏んでいた。しかもまだ粘り気が強い。人影のない街をたった30分歩いて、他人が吐き出したばかりのガムを踏む。しかもおろしたての靴で。自分の引きの強さと円安を呪った。靴底のガムを爪楊枝でカリカリ除去する作業開始。そんな私を傍らで見つめる円安な弟子。「……何見てる?」「お手伝いしますか?」。こんなこと、弟子にやらせるような仕事じゃない。「いーよ! 自分でやるから!」。弟子がなにかスマホで調べている。「……ガムはサラダ油をつけると綺麗に剥がれるそうです」「……独演会の開演30分前なのに、どこからサラダ油を持ってくるんだよ!?」。黙って見ている弟子。「何か言いたいことある?」「はい……気になって……」「なによ?」「そのガム……誰が吐いたのかなぁって……」「!? やなこと言うなよっ! 気持ち悪いよっ!! 吉永小百合みたいな人は吐かないだろっ!!」「ですよね? 吐くならオッサンですよね!」「うるさい!」。テレビでもつけろ、とスイッチ入れるとデーゲームの中継。佐々木朗希が登板していた。

「凄えな佐々木」「そうですね……」「なんだよ?」「粘り強いですね、どちらも」「……」「佐々木も、ガムも」「……ロッテだからな」「……上手い」「上手くねえよ(怒)」。完全に舐められてる。思わず白井球審と同じ顔をして詰め寄りそうになった私も44歳。物心ついたころも今と同じ1ドル=130円くらいだったっけ。その時は『円高』って言われてたのに。「なにがえーんだか」。上手くねえよ。

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめたエッセー集の第1弾『いちのすけのまくら』(朝日文庫、850円)が絶賛発売中。ぜひ!

週刊朝日  2022年5月27日号

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