聞いてほしいことがあるなら人通りの多いところで話さないと、誰も耳を傾けてくれないなぁと思うようになったのです」
山田さんは会計事務所、芸能文化税理士法人の会長。芸能や出版関係者、ユーチューバーに公認会計士兼税理士として納税や経営についてアドバイスしている。この本業と並行して原稿も動画も……となると、きつい。「紙とネット、どちらかを切るなら紙」という判断である。
動画をアップするのは週に1~2本のペース。本や雑誌は出版社の担当編集者とチームで動いていたが、今は山田さん一人で何から何まで作る。1本仕上げるのにたっぷり1日から2日は使う。
「15分の動画のために5倍、10倍の時間をかけてシナリオを練ります。そのまましゃべると30分を超えてしまうので、聞きやすいように、見やすいように、ひたすら削ります。いっぱい調べたあとは引き算でどこまで減らせるかが勝負なんです」
平易さを優先し、あえて削っているのに「○○○の内容が抜けてますね」などとコメント欄で説明不足を指摘されることもある。正直、嫌な気持ちになることもあるが反論はしない、戦わない。
動画のテロップ入れやサムネイル作成といった編集作業も、ネットで検索して一人で学んだ。山田さんの動画の背景がいつも同じなのは、撮り直して修正するときに便利だからだという。
意外にも山田さんは「やりたいことのすべてはできていません」と語る。常に頭にあるのは「貧乏にならないこと」。自分と家族の暮らしを守ることが最優先だ。
山田さんにとって強烈な原体験は1995年1月17日の阪神・淡路大震災。大学受験を目前に控えた高校3年生の冬、神戸市の自宅が全壊した。
山田さんの家は父親が会社員、母親が専業主婦。昭和そのものの家庭だった。
「父は勤務先から借金をして自宅を再建しました。全壊した家のローンは終わっていたので、ダブルローンにならなかったのは幸いでしたが、精神的にも大きな負担でした。
家の全壊をきっかけに『お金を増やすこと』『収入の多い仕事に就くこと』を強く意識するようになりました。
それまでは歴史学者になりたいな~なんてぼんやり思っていましたが、歴史学者は収入が多くなさそうなので、やめました(笑)」
震災の爪痕が色濃く残る中、山田さんは大阪大学文学部に進学する。入学当初は被災者の救済措置があって学費を免除されたが、それも2年生まで。山田さんは3年生以降の学費の捻出に困った。
「当時、大学生ができる時給の高いアルバイトといえばホストか予備校講師の二択でした。予備校講師を選び、避難先の加古川市にある地元の小さな予備校で教えたのは得意の国語。時給は1時間5000円と期待通りの好条件でした」