都バスの自動車工場へ転身した後日談

 都バスの修繕工場になってからの芝浦工場には後日談がある。1982年3月に都バスの新しい塗色を選定するためのコンペが芝浦工場で開催された。当日は岡本太郎画伯(1911~1996)のデザインによる特別車も出展されたため、大勢の報道陣で賑わった。写真は個性的なデザインの「特別出品車」を背景にインタビューを受ける岡本画伯で、「岡本太郎のアート」を楽しみながら電車両工場時代の面影を偲んだ取材会だった。

都バス塗装コンペに出展した「特別出品車」を背景にしてインタビューを受ける岡本太郎画伯。芝浦工場(撮影/諸河久:1982年3月16日)
都バス塗装コンペに出展した「特別出品車」を背景にしてインタビューを受ける岡本太郎画伯。芝浦工場(撮影/諸河久:1982年3月16日)

 1991年、深川自動車営業所の敷地内に新設された自動車車両工場に工場機能を移転したことにより、芝浦工場の70年に及ぶ歴史に終止符が打たれた。

 2001年に工場跡地を都市基盤整備公団(現・都市再生機構)が東京都から取得し、再開発がスタートした。現在は4棟のタワーマンションが聳え、人口10000人を擁する「芝浦アイランド」に変身している。

 最後のカットが、再開発の進捗にともなって2007年に架け替えられた船路橋で、橋上には軌道の模様が施され、画面手前にはレールの一部がモニュメントとして保存されている。

芝浦アイランドへの人道橋として架け替えられた船路橋。都電が走った証として、二条の軌道模様が施されている。背景には4棟のタワーマンションが聳え、芝浦工場時代の面影は微塵もない。(撮影/諸河久:2020年11月7日)
芝浦アイランドへの人道橋として架け替えられた船路橋。都電が走った証として、二条の軌道模様が施されている。背景には4棟のタワーマンションが聳え、芝浦工場時代の面影は微塵もない。(撮影/諸河久:2020年11月7日)

■撮影:1967年3月21日

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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