フィンランドがNATO入りを正式に目指す背景に何があるのか。ロシアの脅威と同時に、欧米と一層緊密化したい狙いもありそうだ。AERA 2022年5月30日号で、専門家がフィンランドの歴史的背景から解説する。

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フィンランド(正式国名「スオミ」)は12世紀からバルト海の覇者スウェーデンに属したが、1809年にロシア領のフィンランド大公国となり、1917年のロシア革命を機に独立した。
第2次世界大戦が起きた直後、ソ連は「バルト海岸の国境がレニングラード(現サンクトペテルブルク)に近すぎ、ドイツがフィンランドを占領すれば同市はドイツの重砲の射程内に入る。内陸で2倍の領地を譲るから国境をさげてほしい」と要求した。フィンランドが拒否するとソ連は39年11月、50万人の兵士、戦車・装甲車2千両の大軍で侵攻したが、30万人のフィンランド軍(8割は予備兵)は各地でソ連軍を撃破、スオムサルミの雪深い山道でソ連軍2個師団2万7千人が寸断されて凍死、全滅した。
ソ連軍は退却して再編成し、翌年2月に攻撃を再開、人海戦術で防御戦を突破、フィンランドは講和を求め、領土の一部を譲ったが、この戦争でソ連軍は20万人、フィンランド軍は2万5千人が戦死した。41年6月、ドイツはソ連に侵攻、ドイツの求めに応じてフィンランドは旧領回復の「継続戦争」の名目で出兵したが深入りは避けた。ドイツ軍の旗色が悪くなるとフィンランドは再び44年9月、ソ連と停戦協定を結び、国内にいたドイツ軍をほぼ平和的に退去させた。
翌年5月、欧州で第2次世界大戦が終わると、フィンランドは元ドイツ側の「枢軸国」で敗戦国となったが、ソ連が「解放」した他の枢軸国を占領して衛星国にし、米国、英国も西ドイツ、日本、イタリアなどを支配したのに対し、フィンランドはソ連に占領されず、民主的政体と自由経済を保った。