●1991年8月11日(両国)新日本 ○蝶野正洋(29:03/パワーボム)×武藤敬司

~国技館に座布団が舞う…第1回G1は白い蝶野が優勝

「ヘビー級のスター(=G1クラス)による最強決定戦」。夏の風物詩G1クライマックの第1回大会は、名古屋と両国3連戦の計4興行で行われた超短期決戦。総当たりではなく8名をA/Bブロックに分けてのリーグ戦方式で開催された(Aブロックが藤波辰爾、武藤敬司、スコット・ノートン、ビッグバン・ベイダー、Bブロックが長州力、橋本真也、蝶野正洋、クラッシャー・バンバン・ビガロ)。

 激戦を制したのは白いハーフパンツ時代の蝶野。決勝で対戦した武藤との対戦成績は1勝12敗1分。加えて橋本との優勝戦進出決定戦をこなした1日2試合目。圧倒的不利な状況下、武藤の必殺技ムーンサルトプレスを両膝で迎撃しパワーボムで3カウントを奪った。闘魂三銃士3人中で一歩引いた印象があった蝶野だが、ここから快進撃が始まった転機とも言える試合だろう。


●1994年3月2日(両国)WAR ○大仁田厚&ターザン後藤(18:13/サンダーファイヤーパワーボム)×天龍源一郎&阿修羅原

~邪道 vs. ミスタープロレス…大仁田が天龍をまさかのピンフォール

 王道・全日本をルーツとしながらも全く別の道を歩んでいた2人。ジャイアント馬場、アントニオ猪木の両方からピンフォールを奪いミスタープロレスと形容された天龍。有刺鉄線、電流爆破など型破りなプロレスを広め邪道と呼ばれた大仁田。交わることが予想できなかった2人の初対決はプロレス史上に残る名勝負となった。

 WARとFMWの団体対抗戦は入場時からヒートアップ、試合でも大仁田組は真っ向勝負で互角に戦った。天龍は場外での後藤の椅子攻撃時、水を飲んでいたビール瓶が頭に直撃、最後は大仁田のサンダーファイヤーパワーボムで敗れてしまう。

 戦前から大仁田は同年5月5日のFMW川崎球場大会へ天龍参戦を求めていた。プロレス的展開(大仁田組勝利)も考えられたが天龍がフォールを喫することは想像できなかった。後藤の強力なアシストがあったからこその大金星だ。そして川崎大会ではノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチでの一騎打ちが行われ天龍が勝利した(23:55/パワーボム)。

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