ある日の食卓。アルコール性の認知症になってから、料理は私が担当し、朝のうちに用意しておいた夕食を一緒に食べる(photo:朝日新聞社・永田豊隆)
ある日の食卓。アルコール性の認知症になってから、料理は私が担当し、朝のうちに用意しておいた夕食を一緒に食べる(photo:朝日新聞社・永田豊隆)

 およそ20年、朝日新聞記者・永田豊隆氏は、精神疾患を抱えた妻の介護と仕事の両立に悩み続けた。日本は世界的にみて精神科病床数が多いが、精神障害者が地域で暮らす支えが十分ではない。家族にのしかかる負担について、介護当事者である永田氏が綴る。AERA 2022年6月13日号から。(前後編の前編)

【写真】主治医に勧められて妻がつけていた飲酒の記録がこちら

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 大量の食べ吐きや飲酒、自傷行為、極端な感情の浮き沈み。精神障害を抱えた妻の闘病をたどる『妻はサバイバー』を4月に出版した。これまでの経過をありのままに書いたところ、「壮絶だ」「言葉にならない」という反響が多く寄せられている。

 妻の症状を知ったのは、20年前にさかのぼる。

 結婚から3年たった2002年、彼女が29歳のとき、摂食障害がわかった。何時間もかけて大量の食べ物を食べては吐く。食料代がかさんで借金を抱えた。人が変わったようになった彼女は私を罵倒し、時折暴力もふるった。

 5年後、知人による性被害が発覚。それまで受診を拒んでいた精神科病院に入退院を繰り返し、大量服薬による自殺未遂を重ねた。間もなく連続飲酒が続くようになり、アルコール依存症になった。その間に専門的な心理療法を受けて、幼少期の過酷なトラウマが浮き彫りになった。

 19年夏、救急搬送がきっかけでアルコール性認知症が判明。以来、妻は酒をやめた。

 今は認知症の症状をケアしながら、やっと夫婦で落ち着いた日々を送っている。

■精神障害当事者の周辺に家族の苦悩がある

「壮絶」という声が多いのは、それだけ妻の症状が衝撃的だったということだろう。しかし、まず知ってほしいのは、私の体験が決して特殊ではないということだ。

 今回の本がネットで期間限定公開された際、精神科医を名乗るアカウントから「急性期病棟で働くと日常」という指摘があった。その通りだと思う。私が妻の治療を通じて出会った限りでも、精神障害の当事者と壮絶な日常を送る人は少なくないが、ほとんど周囲に知られていない。アルコール依存症患者だけで推計約100万人、摂食障害の受診者だけで21万人にのぼる。それぞれの周辺には家族らの苦悩があるはずだ。その一端は時折、悲劇的な事件として現れる。

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