元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 先日、非常に久しぶりに遠方へ講演に呼んでいただき。これまた非常に久しぶりにビジネスホテルに泊まった。感じの良い清潔なホテルだったんですが、驚いたのはバイキングの朝食会場である。

 入り口での消毒検温とマスク着用の指示に加え、もれなく使い捨てビニール手袋を着用するよう指示され、おかずは全て厳重にピッチリとラップ。さらに各机の上には消毒済みか否かの札が立ち、宇宙的なキューンという音のする消毒液の噴霧器を手にした係の人が、ビニールとラップのゴミだらけになった机をすかさず毒消しに回っている。

 緊急事態宣言が出まくっていた頃なら私も驚かなかったと思う。でも今この時の、つまり人との接触をようやくリラックスして楽しめるようになった時期のこの「物々しさ」には思った以上にショックを受けた。入り口には「皆様に安心してお過ごしいただくために」とあったが、むしろ自分も他人も空気も危険なウイルスだらけな気がしてきて食事どころじゃない。丁寧に作られた美味しそうな朝ごはんだったが、早々に部屋に引き揚げてしまった。

もうすぐ梅雨入り? 憂鬱だが紫陽花の蕾が嬉しそうに膨らんでいるのを見ると許せる(写真:本人提供)
もうすぐ梅雨入り? 憂鬱だが紫陽花の蕾が嬉しそうに膨らんでいるのを見ると許せる(写真:本人提供)

 一体いつまでこれが続くのだろう。一旦始めてしまったものを変える難しさを思う。対策を緩めることに不安を感じる人がいる限り、やめられないのかもしれない。

 改めて、コロナが壊していったものを考えている。

 コロナは少なからぬ人の命や健康を奪った。それを何とか防ごうと、我らは対策に躍起となった。でも完璧な対策を取ろうとすれば自分と他人の間に壁を作るしかない。それは物理的な壁であると同時に、心理的な壁でもある。他人は汚れているかもしれない、危険かもしれない、うっかり信用できない……それを四六時中意識しながら生きることは、これもまた人にとってとても大切な何かを根っこから殺す行為である。それが何年も続いたことで、いつの間にかその不信感が「当たり前」になっちゃってないか?

 経済を回すことも大事だけど、心を回すことも大事なんじゃないでしょうか。

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2022年6月13日号