エーザイが開発した『レカネマブ』(商品名LEQEMBI)はアミロイドβ抗体薬。アミロイドβを標的とした創薬は、ラエ・リン・バークが90年代後半に開発に参加した「AN1792」がその原点
エーザイが開発した『レカネマブ』(商品名LEQEMBI)はアミロイドβ抗体薬。アミロイドβを標的とした創薬は、ラエ・リン・バークが90年代後半に開発に参加した「AN1792」がその原点

 夫のレジス・ケリーに連絡をとり、2020年2月に、サンフランシスコの施設に入所しているラエ・リン本人を訪ねるつもりでいた。

 が、2020年1月から始まったコロナ禍で、渡米そのものが難しくなり、ラエ・リンには会えなかった。が、彼女の科学者そして妻としての生き方を、レジス・ケリーやリサから聞いて、大きな感銘をうけた。本の中では重要な登場人物になっている。

 アルツハイマー病を告知されてから、ラエ・リンがもっとも恐れたのは、「科学」から離れなければならないことだった。まだまだ、女性の科学者の活躍の場が限られていた80年代に、大学に残るのではなく、バイオベンチャーにとびこんだラエ・リンは、他の女性科学者のロールモデルにもなっていた。

「今医療ベンチャーにはフロンティアがある」

 そう言ってリサに大学で職を得るのではなく産業科学者の道を選ぶよう勧めたのもラエ・リンだった。

 しかし、アルツハイマー病が告知されたことに、勤めていた研究所は冷たく、退職を勧奨された。しかも、病気のことも、退職まで誰にも言ってはならないとされた。

 退職後、ラエ・リンは、積極的に自分の病気をあかし、スピーチをし、アルツハイマー病の患者の権利のために闘い、映画『アリスのままで』のモデルの一人にもなった。

 そしてエランが開発した初期のアルツハイマー病抗体薬「バピネツマブ」の治験に自ら入っていく。が、2000年代に行われたこの薬の臨床試験は、時代によって厳しい制約をうけていた。当時は正体がわからなかった副作用「ARIA」を恐れて、最高投与量はわずか体重1キログラムあたり1ミリグラムだった。

 脳内の浮腫が原因で、脳画像上に異常があらわれるこの副作用は多くの場合、投薬をやめれば、自然に治っていくものでコントロール可能とされたのは、2010年代のことだ。「レカネマブ」の最終治験は、10ミリグラム隔週投与が最適用量とされている。

 やがて科学の話ができなくなり、睡眠が乱れ、家中を自分のベッドを探して徘徊するようになると、ラエ・リンは施設に入所した。施設の年間の費用は、12万ドル(約1300万円)。この施設に入るために、夫のレジス・ケリーは家を売却、息子の家の暗い半地下の部屋に住むことになった。

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