ラエ・リン・バークは夫と一緒にセイリングにいくのが趣味だった。ウインチにラインを巻きつけることができずにあたふたしていることを2006年ごろに夫が発見したのが、最初の兆候だった。1月8日に行われた「お別れの会」で、ラエ・リン・バークの写真を背にスピーチする夫のレジス・ケリー。
ラエ・リン・バークは夫と一緒にセイリングにいくのが趣味だった。ウインチにラインを巻きつけることができずにあたふたしていることを2006年ごろに夫が発見したのが、最初の兆候だった。1月8日に行われた「お別れの会」で、ラエ・リン・バークの写真を背にスピーチする夫のレジス・ケリー。

 1月7日の土曜日の朝、パソコンを開くと、良い報せと悲しい報せが同時に入っていた。

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 良いニュースは、米国FDA(食品医薬品局)が、アルツハイマー病の進行に直接働きかける初めての疾患修飾薬としてエーザイの「レカネマブ」を承認したこと。

 そして悲しい報せは、一世紀あまりにおよぶアルツハイマー病との闘いにおいて、人類が偉大な一歩を記したことを知らず、一人のアルツハイマー病患者がこの世を去ったこと。

 ラエ・リン・バーク。

 彼女は、エーザイの「レカネマブ」につらなる、脳内のタンパク質アミロイドβを標的とした創薬に挑んだ科学者の一人だった。

「レカネマブ」の承認については、各紙が一面トップで報じ、テレビでも大きく報道しているので、私のコラムでは、創薬の初期に創造力と勇気をもってこの病気に挑んだ幾多の科学者のうちの一人ラエ・リンのことを書いてみたい。その訃報を知らせてくれたのは、カリフォルニア大学サンフランシスコ校薬学部教授のリサ・マッコンローグ。

 リサは、かつてエランという製薬会社につとめ、エランは、90年代後半に最初のアミロイドβを標的とした薬「AN1792」を開発、ラエ・リン・バークは、外部からこの開発に参加した研究者で重要な役割を担っていた。

 アミロイドβがアルツハイマー病の原因だとするアミロイド・カスケード・セオリーにのった最初の薬である「AN1792」はワクチンとして開発された。すなわちアミロイドβそのものを注射することで、免疫反応を惹起し、体内に抗体をつくって、脳内にたまったアミロイドβを排出するという仕組みだった。その免疫反応を惹起するためのアジュバントをつくる専門家として、ラエ・リン・バークはこのプロジェクトに参加したのだった。

 私が、2021年に出した『アルツハイマー征服』という本の取材で、ラエ・リンをおいかけることにしたのは、リサから、ラエ・リン自身が、「AN1792」を開発した直後に若年性アルツハイマー病を発症し、「AN1792」の後継薬「バピネツマブ」の治験に自ら入っていったと聞いたからだった。

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。上智大学新聞学科非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。

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