『蒼ざめた馬を見よ』(1967年)や『青春の門』(1976年)などで知られる作家・五木寛之さん。作家・林真理子さんとの対談で、今年2月に亡くなった石原慎太郎さんとのエピソードや、コロナ禍で変わった生活などを語ってくれました。
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五木:最近、妙に忙しかった理由の一つに、石原慎太郎さんが亡くなられたことがある。なんで僕みたいにエンタメやってる作家のところにいろいろ聞きに来るんだろうと思ったら、要するに彼とは生年月日が全く同じなんだよね。
林:私もびっくりしました。でも、作家のあり方はまったく違いましたよね。
五木:そうでしたね。ただ一点、共通してるところがある。それは歌が好きで、流行歌をいろいろ書いてるところ。
林:石原慎太郎さんがですか?
五木:うん。五木ひろしの歌も書いてるし、ジャニーズの歌も書いてる。ずいぶんたくさん書いてるんですよ。
林:知らなかったです。「さあ太陽を呼んでこい」(NHK「みんなのうた」)という歌だけは知ってますけど。
五木:ああ、それもありましたね。僕は石原さんとは数度しか会ったことないんだけど、一度、同じ生年月日ということでグラビアの撮影があって、その合間に雑談をしたら、「五木さん、レコード会社の専属作詞家だったんだってね。僕、いろいろ歌を書いてるんだけど、なんで売れないんだろう」ってきくんだ。後年、いちばん売れたのが「夏の終わり」という歌なんだけど、裕次郎が歌って、次にペギー葉山が、そのあとご本人も歌ってる。
林:えっ、石原慎太郎さんが?
五木:うん。ペギー葉山さんとデュエットもやってるんですよ。そんなことで話が盛り上がりましてね。「昔は“裏待ち詩人”というのがたくさんいたんです」と言ったら、「裏町詩人? それはうらぶれてる詩人って意味のこと?」ってきくんです。そういう意味ではなくて、売れない作詞家は売れっ子の歌い手さんのヒット曲のB面(レコードの裏面)を書かせてもらって、A面が売れるとB面の印税もたくさん入るから、“裏待ち詩人”と言われてたんだと説明したら笑ってた。