選考に漏れて訴訟に発展
選ばれなかった「野球以外」の理由
かつて、センバツの選考に漏れて訴訟を起こした高校がある。1970(昭和45)年の帝京商工だ。前年秋の東京都大会で準優勝しながら、選ばれなかった。
選ばれたのは都大会優勝の日大三高と、当時の報道を見ると4位と記されている堀越だった。前年の出場校は、日体荏原と堀越、その前年が日大三高と佼成学園。いずれも都大会の決勝を戦った優勝、準優勝校だ。
この前例に倣えば、帝京商工が選ばれるのが順当。しかも、記録をたどると、帝京商工は決勝で大接戦を演じ、延長12回の末、2対1でサヨナラ負けを喫している。敗れはしたが、優勝した日大三高と遜色ない戦いを演じたわけである。この結果だけを見れば「選ばれて当然」「落ちる理由がわからない」といえる状況だ。
選考を不服とした帝京商工は大会前、日本高等学校野球連盟(日本高野連)の佐伯達夫会長を相手どって大阪地裁に仮処分申請を行った。大阪地裁は3月12日、「選抜大会への出場を主張する権利はない」と学校側の訴えを却下した。
訴訟を起こしたことで、帝京商工は東京都高等学校野球連盟(都高野連)から対外試合禁止の処分を受けた。またこれを不服として帝京商工は都高野連も提訴した。結局、都高野連は出場停止を撤回し、学校側も提訴を取り下げて騒動は収まったと報じられている。
後にも先にも、センバツの選考に関して訴訟に至ったのはこの一件だけだという。この当時を詳しく知る関係者に聞くと、漠然とだが、苦笑しながらこんな記憶を話してくれた。