たに・まみ/1982年、宮城県気仙沼市生まれ。サントリーホールディングス勤務。旧姓佐藤。早稲田大学2年生のときに骨肉腫を発症し、右足ひざ下を切断。パラリンピックには走り幅跳びで2004年から3大会連続出場。13年にはIOC総会で五輪招致のスピーチを行った。結婚、出産を経てトライアスロンに転向し、17年世界選手権で優勝。PTS4クラス(写真/写真部・東川哲也)
たに・まみ/1982年、宮城県気仙沼市生まれ。サントリーホールディングス勤務。旧姓佐藤。早稲田大学2年生のときに骨肉腫を発症し、右足ひざ下を切断。パラリンピックには走り幅跳びで2004年から3大会連続出場。13年にはIOC総会で五輪招致のスピーチを行った。結婚、出産を経てトライアスロンに転向し、17年世界選手権で優勝。PTS4クラス(写真/写真部・東川哲也)
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 8月24日に開幕した東京パラリンピックの開会式で、入場行進する日本選手団の旗手は男女各1人が務める。女子はトライアスロンの谷真海(39)だ。AERA2019年8月5日号で語ったインタビューを紹介する(肩書きや年齢は当時)。

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 いつも笑みをたたえている谷真海が、泣いた。今年5月、世界トライアスロンシリーズ横浜大会のレース後のことだ。

 同大会は2連覇していたが、2位でゴール。しかも、ルール改正により障害の軽いクラスの選手とも競わなければならなくなる東京パラリンピックのクラス分けに当てはめると、6位相当のタイム。「全然かなわなかったな」とタオルに顔をうずめた。

「スポーツの力」を訴えた笑顔のプレゼンテーションで五輪・パラリンピックの招致に貢献した。結婚・出産を経て、走り幅跳びからトライアスロンへ転向。幼い頃に打ち込んだ水泳と、右足のひざ下を切断後10年以上続けてきた陸上の経験を武器にすぐ頭角を現し、本格的に競技を始めた翌年の2017年には世界選手権で優勝した。だが、東京の金も照準に入った矢先の18年、谷の障害クラスが東京大会の実施種目から外されてしまう。その後、障害の軽いクラスと混合で実施されることになって出場の道は残されたが、厳しい戦いが始まった。

 自らの意思ではどうにもならない障害のクラス分けに翻弄され、モチベーションを維持するのが難しい時期もあったが、東京大会のコースであるお台場を走りながら、気持ちを奮い立たせてきた。

「お台場には勤務先も、息子の通う保育園もあるんです。ここで走りたいと思って、毎日自分の限界を更新できるようにトレーニングしています」

 慣れ親しんだ場所を駆け抜け、笑顔でゴールするために、挑み続けている。

(編集部・深澤友紀)

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■トライアスロン

 車いす、義足、視覚障害などの選手が参加し、距離は五輪種目の半分のスイム750メートル、バイク20キロ、ラン5キロで競う。スイムからバイク、バイクからランへ移る際の「トランジション」もタイムに含まれ、各選手の工夫も見どころ。一般のトライアスロン以上に選手の各種目の得意不得意が表れ、目まぐるしく順位が入れ替わる。リオ大会から正式競技となった。

※AERA2019年8月5日号に掲載