■とはいえゴルフ業界は「斜陽産業」

 ここで、ゴルフ業界の歴史を振り返ってみたい。これまでにも「ゴルフブーム」と言われた時代が何度かあった。

 第1次ブームは、戦後12年目の1957年になるだろう。霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)で第5回カナダカップ(後のワールドカップ)が開催され、中村寅吉選手が個人で優勝。そして中村選手と小野光一選手ら日本チームが団体優勝も成し遂げ、日本ゴルフ界が一般大衆化へと舵を切る出来事となった。さらに、井上誠一氏、上田治氏、富澤誠造氏といった名匠により、日本各地に多くのゴルフコースが設計、造成された。

 第2次ブームは1971年、笹生選手の師匠にあたる尾崎将司選手が、日本プロゴルフ選手権で初優勝。青木功選手、尾崎将司選手、中嶋常幸選手によるAON時代が到来した約20年の期間であろう。スター選手の存在と高度経済成長と相まって、日本ゴルフ界は発展。日曜日の午後には、幾つものゴルフ中継番組が放映されていた。

 だがバブル後、企業の接待交際費や個人の娯楽費が激減。ゴルフは「負の財産」と化し、冬の時代が到来する。その一方で1997年にタイガー・ウッズ選手が21歳3カ月という史上最年少、かつ大会史上最少ストローク(270)でマスターズを制しメジャー初優勝。そこから、タイガー・ブームが巻き起こり、第3次ブームがやってくる。石川遼選手や松山英樹選手は、ウッズ選手の影響を受けた「タイガー・チルドレン」と言っても言い過ぎではないだろう。この時代、男子プロでは丸山茂樹選手、田中秀道選手、片山晋呉選手らが、女子プロでは不動裕理選手、宮里藍選手らが活躍した。今回のブームは、これに続く「第4次ブーム」とみることができるだろう。

 とはいえ、大きな流れでみればゴルフ業界全体が斜陽産業であることは否定できない。ゴルフ人口は1994年時点では1200万人だったが、2012年は840万人にまで減少。市場規模も90年代と比べると大幅に縮小している。

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ゴルフ業界は再興できるか