そして6年前、子どもが中学生になったのを機に、ふたたび表現の世界に戻ってきた。
絵ではなく、写真を選んだ理由について、長谷川さんはこう語っている。
<油絵を選ぶと独特の一人の世界へ没入しなければ気が済まなくなるからです。油絵はご存知の通り、1日では完成しません。写真は、完成します。同じテンションを何日もキープしなくて良いのです。とは言っても、写真表現を軽くみている訳ではありません>(「BUNCA Column」2021年3月21日、「『なぜ、写真なのか。なぜ、鉄工所なのか。』を自分に問いかけてみました」)
■撮影依頼も最初は6連敗
「私、花鳥風月系はあまり好きじゃないんで、下町のふつうの人とかを撮っていきたい」
そう思っていた長谷川さんが鉄工所に通い始めたのは3年前。
長田地区の鉄工所は1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受け、かなりの数が移転したものの、慣れ親しんだ土地に踏みとどまり続ける鉄工所があった。
「小さいころは入れてもらえなかったんですけれど、もう大きうなって、写真撮りたいという大義名分があるから、入らせてもらえるかなと。それで、『あのー、写真撮らせてもらえないでしょうか?』って」
ところが現実は、そう甘くはなかった。
「一生懸命にお願いしたけど、最初、6連敗したんかな。7軒目でようやく協力してくださった」
多くの鉄工所は下請けだったため、製造現場を撮影され、発表されることで、元請けの心証が悪くなることを恐れた。
さらに、「廃れた姿を見られたくない、というのが断られた二つ目の理由」だった。
「すごく栄えていた時代があったわけじゃないですか。かつては何十人も雇っていたのに、いまは、1、2人でやっている。大きいところでも3、4人ぐらい」
■「不器用な写真家なんで」
長谷川さんは、「けっこう、土下座しましたよ」と、事もなげに言う。
そこは機械油の染み込んだコンクリートの上。「ジーンズは油でドロドロ、真っ黒」に。
「情に訴えて、『まあ、そこまで一生懸命に言うてくれるのやったら、撮らしたろうか』って。『撮影する』というのは、相手が少し抵抗を持つし、私の場合は承諾ずみのポートレートしか絶対に撮らないから。気持ちよく撮らせてもらえるためだったら、土下座しますね」