ともかくここで強調したいのは、生活のあれこれを放り投げてランニングやヨガに精を出すなんてぜいたくだなんてことではなく(機械がやってくれるならどんどん任せよう、というのが私の基本的な考え方です)、いずれ世界中の物事がごくひと握りのテック系エリートたちが持つ価値観によって定義されていくかもしれないという危機感です。

 すでにFacebook、Twitter、Instagramなどのソーシャルメディアによって「いいね!」とされる価値観が固められているように、スマートウォッチやそのアプリによって「運動」の概念も決められていくのかもしれない。スマートウォッチで計測できない行為は運動とはいえない、と定義されるようになったらと思うと身震いがします。

 日本の地方都市で生活を営む一般市民としては、「赤子のおんぶも皿洗いも草むしりも雪かきも、ぜーんぶ立派な運動だぞ!」と左手首のスマートウォッチに言い返したい。大正生まれの祖父に言わせれば、「ハイキングなんてしゃらくさいこといっても、要は山菜採りと同じだろ」というところでしょうか。

〇大井美紗子(おおい・みさこ)
ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

AERAオンライン限定記事

暮らしとモノ班 for promotion
2024年最後の最強開運日は12月26日!キャッシュレス派向けおすすめミニ財布48選