撮影:中山博喜
撮影:中山博喜

■ふつうに空爆されていた

 中山さんが初めて現地を訪れたのは20年前の2001年4月。中村医師の活動を支援するために結成されたNGO「ペシャワール会」から知人を通じて声をかけられたのがきっかけだった。

「ちょうど、ぼくが行ったときはアフガニスタンで井戸掘り活動が始まっていて、それに従事するために誘われたんです」

 中山さんは会の活動に参加する一方、もう一つ「自分の目的」があった。

「アフガニスタンでスナップ写真が撮れないかな、と思ったんです。当たり前なんですけれど、そこには人の営みや喜怒哀楽があって、それを写した写真からは人と人のコミュニケーションが見えてくる。で、そんな場所に爆弾が落とされている、という逆説的な話に持っていきたかった。そんな目的でこのモノクロ写真は撮っていたんです」

 中山さんの着任からわずか半年後、9.11アメリカ同時多発テロ事件が発生。その報復攻撃としてアフガニスタンへの空爆が始まった。

「ここに写っている水路の工事現場とか、ふつうに空爆されていたんです」

 日本人スタッフは隣国、パキスタンに退避。中山さんは一時、日本に帰国していたが、そのとき目にしたニュースに違和感を覚えたという。

「極端に言うと、戦争をしているところだから何らかの犠牲があるのは仕方ない、みたいな。そこに、ぼくらと同じ人間が住んでいるという意識が抜け落ちてしまっているのではないか? そういう感覚がぼくのなかにあったんです」

撮影:中山博喜
撮影:中山博喜

■水さえあれば問題を解決できる

 中山さんが着任したころに撮影したモノクロ写真には井戸を掘る人たちの姿が写っている。作業はいたってシンプルで、スコップとつるはしだけで地面を垂直に掘っていく。

「この写真は、底にいる人から『バケツを上げろ』と合図があって、上の人が滑車を回して掘った土を上げているところです。とにかく、水が出るまで掘る。100メートル以上掘るときもあります」

 当時のアフガニスタンは大干ばつに見舞われていた。

「水がないと人は生きていけませんから、汚れた水でも飲むしかない。食器も洗えなかった。それが原因で感染症が多発して、たくさんの命が失われていきました」

 そんな場所では暮らしが成り立たない。人々は難民となって流出した。

「要は、薬を用意したり、お医者さんを派遣するよりも、水さえあれば、これらの問題の大本を解決できる。それも医療活動の一つであると言って、中村先生は井戸を掘ることを決意されたんです」

 そこで、「いっしょに手伝ってくれる日本人がいないかなあ」ということで、中山さんに声がかかった。

 ところが、意外なことに中山さんに井戸掘りの知識はまったくなかったという。

「完全に畑違いの世界ですね。ぼくはもともと、アフガニスタンという国が世界地図のどこにあるかも知りませんでした。ふつうに考えると、なぜそんな人に声がかかるんだ、という話ですよね。ぼくもそう思います。ははは。でも、専門知識があるから働きに来てください、ということで日本人がいるわけではないんです」

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現地に日本人がいる意味