■現地に日本人がいる意味
井戸を掘るのは現地の人たちであり、彼らが自分たちの力で問題を解決できる基盤をつくることがこの活動の最終ゴールという。それをサポートし、いっしょに汗を流すことが中山さんの仕事だった。
「例えば、この滑車の開発ですね。効率よく井戸を掘るために現地で入手できる材料を鍛冶屋に持ち込んで開発し、それを村の人たちに渡す。井戸掘りを日雇い労働というかたちにして、お金がちゃんと発生するようにする。仕事をした結果として、彼らがそこに住める環境をつくる」
日本人とともに各地の掘削現場を巡回して安全確認をすることで現地のエンジニアたちが落ち着いて活動できる。井戸掘りをする人々のモチベーションが上がる。
「そういう役目で、日本人が現場にいるということが非常に機能したんです」
その後、水を確保する事業は拡大し、ジャララバードの北を流れるクナール川から水を引く水路の建設が始まった。
「もともとの住人がそこに住めなくなるという状況があって難民化していくんですけれど、その人たちをなんとか帰還させていくために水路をつくっていったんです。中村さんは『水路をつくるぞ』と言って、ずっと建設作業に従事していました」
■写真の意味がひとりでに変化
荒涼とした山を背景に、はだしの子どもが画面を横切っていく印象的なカラー写真がある。
「これは通水試験が終わって、水路に水がばーっと流れてきたときです。画面の奥にはもう家ができ始めていた。つまり、ここに水がくるというので、早速人が住み始めている。その家から水をくみにやってきた子どもです」
これらの写真はもう過去のものであると思い、2年前に中村医師が亡くなるまでしまい込んでいた。
ところが、葬儀をきっかけに「写真が勝手に変化していっているなあ、という感覚が出てきたんですよ」。
「写真の意味がひとりでに変化して、旅立っていく感覚。であれば、みなさんが言うように、ぼくはどんなお題でもって、外に出せばいいのか。考えていった結果が、今回の写真展であり、同時につくった写真集なんです」
(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】中山博喜写真展「水を招く」
リコーイメージングスクエア東京 5月27日~6月21日