あぶり出された「ステイホーム」できない人々
そのころの作品に、青空に小さく飛行機が写ったものがある。街を歩いていると、飛行機の音が気になり、それがとても印象に残ったという。
「ちょうど、羽田空港に着陸する飛行機の新ルートができて、都心を低く飛び始めたときだったんです。街の静けさと、飛行機の轟音とのコントラスト。たぶん、人がふつうに歩いていたら、それほど気にならなかったと思うんですけれど、あの音が異様な空気を際立たせていました。いまはもう慣れちゃいましたけれど」
一方、あのころからずっと、そしていまも気になっていることがある。それは、日本的なあいまいさ、作品のタイトルにもなっている「自粛」だ。
「自粛って、自ら制限する、ということじゃないですか。海外のロックダウンと違って、外出が禁止されているわけではない。そうすると当然、ちらほらと人が街に出るわけですけど、そのあいまいさって、日本的だな、と感じたんです。その、あいまいなところがすごく風景に出ていましたね。だから、画面にちょっと人が入っているほうが正確というか、自然だと思うんです。だから『ほぼ』誰も写っていない写真」
写真があぶり出したのは、「ステイホーム」と言われても、そうできない人々の存在だ。時津さんは人影の消えた街にぽつんといる若者の姿をあちこちで目にしたという。
「本当に何するでもなく座っていた若い子が多かった。たぶん、行くところがどこにもないから」
テレワーク化が進んだ丸の内のオフィス街からスーツ姿のサラリーマンが消えた一方、Uber Eatsのようなフードデリバリーの人が写っているのも印象的だ。
新宿は「差別」されているのか、「区別」されているのか?
「夜の街」と呼ばれ続けた新宿のバーやホストクラブも取材した。
「ゴールデン街の店はほとんどやっていなかったですね。ただ、開けていた店も営業したくてやっているわけじゃなくて、続けないと潰れちゃうから。そこで、営業する店と、しない店との軋轢みたいなものが生じていた。自粛というあいまいさが生んだ同調圧力みたいなもの。『みんなが自粛していのに、なんでお前は店を開けているんだ』、と」
一方、新宿・歌舞伎町のカフェ&バー「デカメロン」は、「筆談でお客さんとお店の人がコミュニケーションする、新しいコロナ時代の店」だ。客同士も筆談だ。
飲みにやってきた人が綴ったノートを写した作品が面白い。そこには「新宿は『差別』されているのか、『区別』されているのか?」「ほんと職場の人と飲みに行くの減った気がする。つまり、不要不急の関係だったということ?」などと、書かれている。
「確かに、コロナはいろいろなことを考えるきっかけになりました。人間関係の濃淡、友だち関係とか。モノではない、時間の価値。消費社会からのシフトとか」
そんなことを感じさせる作品もある。大井ふ頭中央海浜公園で撮影した写真で、おだやかな西日が差す芝生の上に折り畳み式ベッドを広げ、日光浴をしている人がいる。かたわらにはツツジが咲き、その奥には運河の水面が広がっている。
「うまく言えないんですけど、なんか、まったりしたムードがありましたね。それは公園だけじゃなくて、街中でも人が歩いていないと、時間の流れが違う感じがした。時間軸が違うというか。でも、それを映像化するのはすごく難しかった。感じたことはいろいろあったんですけど」