21系統も単独運行距離の長い路線だった。大型トラックから自転車まで、すさまじい雑踏の千住大橋を渡る御徒町駅前行きの都電。橋上を並走するのは1959年式のいすゞTXGトラック。千住仲組~千住大橋 (撮影/諸河久:1968年2月23日)
21系統も単独運行距離の長い路線だった。大型トラックから自転車まで、すさまじい雑踏の千住大橋を渡る御徒町駅前行きの都電。橋上を並走するのは1959年式のいすゞTXGトラック。千住仲組~千住大橋 (撮影/諸河久:1968年2月23日)

 次のカットは日光街道を走る21系統御徒町駅前行きの都電。交通渋滞がカオスの極みのような日光街道の千住大橋を渡るシーンだ。三ノ輪車庫前~三ノ輪橋で31系統(三ノ輪橋~都庁前)と重複する365mの差し引きが生じ、この部門の次席に甘んじた。

■最多の系統が出合う意外な交差点

 長く続くこのコラムのなかでもとりわけ反響が大きかったのが、「都内最大の都電ターミナルはどこか」という記事だった。上野でも新宿でも東京駅付近でもなく、いまでは想像がつきにくい「須田町」だったことが話題になったと思われる。詳しくは、本連載2019年6月15日配信の「新宿でも渋谷でもない! 都電時代の55年前、最大のターミナルだった意外すぎる場所とは?」で詳細を既報している。そちらもあわせてお読みいただきたい。

 都電の路線が交差する交差点では様々な系統が行き交った。

 その中で須田町交差点は、最多の10を数える系統が出合うナンバーワンの交差点だった。全40系統の25パーセントが集結する都電最大のターミナルで、野球のサードベースに例えて「ホットコーナー」の異名で呼ばれていた。

十系統が集う都電最大の「ホットコーナー」須田町交差点で行き交う1系統上野駅前行きと品川駅前行きの都電。7両しか製造されなかった5500型が出合うシーンを、タイミングよく捉えた貴重な一コマ。(撮影/諸河久:1964年3月14日)
十系統が集う都電最大の「ホットコーナー」須田町交差点で行き交う1系統上野駅前行きと品川駅前行きの都電。7両しか製造されなかった5500型が出合うシーンを、タイミングよく捉えた貴重な一コマ。(撮影/諸河久:1964年3月14日)

 冒頭の写真は中央通りに敷設された本通線と靖国通りに敷設された両国橋線が交差する須田町交差点で、1系統の花形5500型上野駅前行きと品川駅前行きが本通線を行き交う貴重な一コマ。この二両はライセンス生産されたPCC車の5501には及ばないが、当時の国産技術の粋を集めた高性能路面電車だった。

 次のカットは、両国橋線の須田町停留所で降車扱い後、交差点西側の折返し線へ向かう29系葛西橋行きの都電。都電の背景には洋服生地や毛織店などの服地卸業者が軒を連ね、商魂たくましい街並みだった。

両国橋線須田町停留所で降車扱い中の29系統葛西橋行きの都電。29系統は交差点西側の折返し線で転向するが、10系統渋谷行きは画面左側に設置された折返し線を使っていた。(撮影/諸河久:1965年5月16日)
両国橋線須田町停留所で降車扱い中の29系統葛西橋行きの都電。29系統は交差点西側の折返し線で転向するが、10系統渋谷行きは画面左側に設置された折返し線を使っていた。(撮影/諸河久:1965年5月16日)

 交差点の南北を走る本通線には1、19、20、24、30、40の六系統、東西を走る両国橋線には10、12、25、29の四系統がそれぞれ運転されていた。十系統のうち半数にあたる10、20、24、29、30の五系統が須田町で折返していた。

 ちなみに、須田町交差点に次ぐホットコーナーを挙げると「電車唱歌」の一番に唄われた日比谷交差点で、ここでは2、5、25、35、37と8、9、11の八系統が出合っていた。
 

晴海通りと日比谷通りが交差する日比谷交差点には八系統の都電が集っていた。1963年の年頭、日章旗を掲揚して行き交う11系統新宿駅前行きと月島新佃島行きの都電。画面右手前にはタクシー仕様の日野自動車工業「コンテッサ」が写っている。(撮影/諸河久:1963年1月1日)
晴海通りと日比谷通りが交差する日比谷交差点には八系統の都電が集っていた。1963年の年頭、日章旗を掲揚して行き交う11系統新宿駅前行きと月島新佃島行きの都電。画面右手前にはタクシー仕様の日野自動車工業「コンテッサ」が写っている。(撮影/諸河久:1963年1月1日)

 次のカットは、9系統浜町中ノ橋行き都電の車上から写した日比谷交差点のスナップショット。1963年元日の光景で、交差点周辺には晴れ着で着飾ったご婦人の姿が見られる。晴海通りの下を開削する地下鉄日比谷線建設工事が始まったばかりで、新宿・渋谷・中目黒方面の日比谷公園停留所は交差点の東側に所在した。後年地下鉄工事の進捗で、停留所は交差点西側に移設された。
 
■撮影:1963年11月30日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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