青梅街道にあふれる自動車群を掻き分けながら荻窪駅前に向かう14系統の都電。軌間が異なるため他系統とは重複せず、単独で運行されていた。高円寺二丁目~蚕糸試験場前(撮影/諸河久:1963年11月30日)
本郷通りを走る19系統通三丁目行きの都電。画面右側が駒込浅嘉町、左側が駒込片町の旧町名だったが、現在は向丘と本駒込に改名された。画面右上には本郷消防署駒込派出所の望楼が見えている。吉祥寺前~向丘二丁目(旧称本郷肴町)(撮影/諸河久:1970年9月9日)
21系統も単独運行距離の長い路線だった。大型トラックから自転車まで、すさまじい雑踏の千住大橋を渡る御徒町駅前行きの都電。橋上を並走するのは1959年式のいすゞTXGトラック。千住仲組~千住大橋 (撮影/諸河久:1968年2月23日)
十系統が集う都電最大の「ホットコーナー」須田町交差点で行き交う1系統上野駅前行きと品川駅前行きの都電。7両しか製造されなかった5500型が出合うシーンを、タイミングよく捉えた貴重な一コマ。(撮影/諸河久:1964年3月14日)
両国橋線須田町停留所で降車扱い中の29系統葛西橋行きの都電。29系統は交差点西側の折返し線で転向するが、10系統渋谷行きは画面左側に設置された折返し線を使っていた。(撮影/諸河久:1965年5月16日)
晴海通りと日比谷通りが交差する日比谷交差点には八系統の都電が集っていた。1963年の年頭、日章旗を掲揚して行き交う11系統新宿駅前行きと月島新佃島行きの都電。画面右手前にはタクシー仕様の日野自動車工業「コンテッサ」が写っている。(撮影/諸河久:1963年1月1日)