最初のアパートから、次に引っ越した部屋は、台所の陽当たりがよかった。そのときは会社に勤めていたので、朝、まとめて調理できるものはしておいて、帰ってきてからまた簡単なものを一、二品作っていた。はっきりは覚えていないが、たしか鶏のひき肉と野菜の味噌炒めを作り、それを冷蔵庫に入れればよかったのに、遅刻しそうになったので、あわてて中華鍋に埃除けの蓋をして出勤した。

 そして家に帰って、中華鍋の蓋を開けたら、びよ~んと何やら鍋の中の物体と蓋の間に、粘着性のものが発生している。何かと思ったら、私が会社に出かけているうちに、台所に放置していた中華鍋に、かんかんと陽があたり、蓄熱作用もあるため、中途半端に熱せられて、あっという間に中身が腐ったのだった。二十代の私は、家事のもろもろについて頭がまわっていなかった。ぎょっとして顔をそむけつつ、厚手のゴム手袋をして中身をゴミ袋に捨て、気分が悪いので中華鍋も捨ててしまった。何となくそのときの記憶があって、それ以来、中華鍋を使うのはやめてしまった。

 以降、アメリカ製のステンレス鍋をずっと使ってきた。フライパンよりもやや深めで、煮込みなどにも使える、ちょうどいい大きさだった。アルミ鍋はアルツハイマーの原因になるという話が出てきた頃で、私が定期購読していたアメリカの女性雑誌にも、そういった記事が掲載されていた。昔はどの家庭もそうだったと思うが、私が育った家でもアルミ鍋を愛用していて、魚を煮る平たい鍋も、味噌汁を作る鍋も、やかんも、アルミ、アルマイトだった。フライパンは鉄製だった。アルミ鍋は軽いし洗うのも楽なので、とてもいい鍋だとは思うが、そういう話が出てくると、ちょっと二の足を踏んでしまい、ステンレスを選んだのである。

 最近はこの説は違うのではないかといわれるようになった。調査の結果、同じ鍋で作った料理を食べた老夫婦が、二人ともアルツハイマーになる確率がとても低かった。もしもアルミ鍋が原因だったとしたら、必ず二人ともなるはずなのに、そうではなかったかららしい。飲食店では調理の際にアルミ鍋を使っているところも多いだろうし、市販のお惣菜もアルミ鍋を使って調理している場合もあるだろう。アルツハイマーの発症云々のせいで、アルミ鍋業界はダメージを受けたと思うが、気にするほどのこともなかったのかもしれない。

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