旨味たっぷりのスープもおいしい(筆者撮影)
旨味たっぷりのスープもおいしい(筆者撮影)

 開店2日目には「くじら軒」の店主・田村さんが食べにきてくれた。

「夢を見ているようでした。目の前で『旨い』と言って、カウンターにお祝いを置いて帰られました。しかも業界のいろんな方に店を紹介してくれていたんです。カッコいいですよね」(平賀さん)

 必死に仕事をこなす日々が続いたが、オープン景気は終わり、日に日にお客さんは減っていった。8月には昼に1人しか来ない日も出てきた。でも平賀さんには自信があった。旨いラーメンを作り続けていれば人は来るはずだと。

 すると秋にチャンスが訪れる。雑誌「横浜ウォーカー」が新店紹介として「流星軒」を掲載したいと取材に来たのだ。雑誌の発売日の夜に平賀さんが店に来ると、店の前には大行列ができていた。開店時に用意していた外待ち用の椅子に人が座る日が来たのだ。

「当時はラーメンブームで忙しい日々でしたね。名前ばかり有名になって味が伴っていないんじゃないかと不安な時もありました。そんな時は、その都度試行錯誤して味のブラッシュアップをしてきました。開店以来ずっと変わり続けていますよ」(平賀さん)

オープンから20年経っても味のブラッシュアップは続く(筆者撮影)
オープンから20年経っても味のブラッシュアップは続く(筆者撮影)

 今年でオープンから20年。それでも常に新しいメニューにチャレンジし続ける姿は、横浜のラーメン業界全体に刺激を与えているに違いない。

「樹」の大川さんは、平賀さんの技術や発想力に目をみはる。

「平賀さんにとってのラーメン作りは音楽と同様、“発想”なんですね。作曲家が曲を作るように発想が次々生まれてくるんです。しかも技術も常に向上し続けている。凄い方だと思っています」(大川さん)

 平賀さんも、開店以来厨房に立ち続ける大川さんを認めている。

「ラーメン本に載っていたことがきっかけで『樹』のラーメンを食べにいきました。その頃からラーメンもつけ麺も変わらず美味しい。チャーシューは毎日仕込んで、できたてを出すなど、美味しさを常に追求しています。本当に真面目な職人ですね」(平賀さん)

 横浜エリアを長く牽引する二人。ともに流行に左右されることなく、自分の道を歩み続けたからこそ今があるのだろう。(ラーメンライター・井手隊長)

○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho

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