賞を獲るためやグルメサイトで点数を取るために店をやっているのではない。ラーメンフリークではなく、あくまで一般の人が何度も来たくなる店。それが、大川さんの譲れないこだわりだ。食材や調理法、火の入れ方など基本をとことん突き詰めることで、また食べたくなる味ができるのだという。大川さんはこの地でいけるところまで味の追求を続けていく。
そんな大川さんの愛するラーメンは、矢沢永吉に憧れて上京した店主がロックンローラーからラーメン屋に転身して作り上げた魂の一杯だ。
■独学で独立を決意 元ロックンローラーがつむぐ醤油ラーメン
横浜市南区にある「流星軒」は、矢沢永吉一筋40年の平賀敬展(ひろのぶ)さん(58)が営む人気店だ。00年のオープンから20年間、柔軟な発想でラーメンを作り続ける平賀さんにとってラーメンは「エンタテインメント」。そのバイタリティ溢れる姿は横浜のラーメン店にも大きな影響を与えている。
平賀さんは愛知県半田市出身で、幼少期から地元のチェーン店「スガキヤ」のラーメンをよく食べていた。大晦日には祖母が作る「年越しラーメン」を食べるのが恒例。名古屋コーチンで出汁をとり、ハムとゆで卵とカマボコが乗っていたオリジナリティあふれる一杯だった。
思春期になるとロックに傾倒し、憧れたのは矢沢永吉。バンド活動に明け暮れていた。高校時代には本気でプロを目指すようになり、18歳の頃に「俺はロックンローラーになって20歳で武道館を満員にする」と宣言し、家出。その日のうちに、横浜・元町のレストラン「ポンパドール」にアルバイトとして入れてもらう。その後はバンド活動をしながら数々のアルバイトを転々とし、10年の月日が経つ。この頃には既に平賀さんは28歳になっていた。
「月に4回ライブをやり続けていましたが、芽が出ない。疲れてきてしまったんですよ。バンドをきっぱり辞めて就職しようと思ったんです」(平賀さん)
音楽関係の仕事に就いたものの、やる気のない先輩の姿に嫌気がさし、すぐに転職を決意。当時昼によく食べていた「キッチンジロー」が幹部候補生を募集しているという記事を雑誌で発見し、面接を受け、入社が決まる。
平賀さんは仕事を必死でこなし、1年で店長に上り詰めた。フランチャイズ店として独立を目指していたが、ある出来事をきっかけにその夢が絶たれてしまう。8年間勤め上げていた平賀さんは、目標を失い、途方に暮れていた。