■昔気質の上司との仕事、悩み抜き退社を決断する

 それが影響したのか、予想もしない配属になる。溶接機を作る事業部。当時は、典型的な3K、きつい、汚い、危険な職場。ショックを受けた。出社するとまず、つま先に鉄芯の入った重たい安全靴をはき、通常の作業着の上になめし革製の分厚い防護服を着た。その上に革地のエプロンを着ける。実験や評価のために長時間溶接を続けていると、金属粒子が容赦なく体に飛び散る。全身は粉塵だらけで、鼻の中まで真っ黒になった。さらに夜帰宅してからも、昼間見続けた閃光で目が焼け、涙がこぼれて眠ることができない。

「つらかったですね。最初は嫌で嫌でしょうがなかった。でも、腹をくくりました。配属された以上は、この道でプロになるんだ、と」

 後に、この配属は幸運だったと樋口は思うようになる。小さな事業部だったため、電気回路から筐体の設計、セールスのアシストまで、小さな事業の経営全体を学べた。しかも5年ぶりの新人配属だったため、周囲にかわいがられ、鍛えられた。

 31歳のとき、希望していた社内留学制度を勝ち取る。そして、世界に知られる名門校、ハーバードビジネススクール(HBS)に合格する。落第して放校されることもある厳しい学校だった。

「実際の厳しさは、想像をはるかに超えていました。授業で発言しないと評価してもらえない。しかし、世界から秀才が集まる授業で、タイミングよくいい発言をするのはとんでもなく難しい」

 授業の準備に1日12時間。極限まで睡眠時間を削った。5分すら惜しい。そんな毎日だった。HBSの同級生だったサントリーホールディングス社長の新浪剛史(にいなみ・たけし 61)は語る。

「まじめでしたよね。ノートを見ていても、とても綺麗に書かれていて。議論をしても筋がきっちり通る。ロジカルな人だなぁと思いました。ただ、自分をむき出しにして競い合う人ではない。競争心を刺激するHBSの仕組みには、樋口さんは余計につらさがあったんじゃないかと思います」

 おとなしい性格です、などと言っていたらはじき飛ばされてしまう世界。樋口は教室に入るとき、毎回パンパーンと頬を叩いて気合を入れた。お前はアグレッシブだ、発言しろ、と。樋口はいう。

「来るんじゃなかったと毎日、思っていました(笑)。でも、おかげで人格が改造されました」

 2年の留学を経て帰国。HBSで学んだことを仕事に生かすつもりが、飛び抜けて昔気質な上司のもとに配属される。オレの言うことを黙ってやれ、会議でしゃしゃり出るな……。

「戻ったときには、一生かけて留学の恩返しをしたいと思っていました。でも、これでは能力があっても発揮できないと感じ始めて。苦しかった」

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