新卒で入社した会社に25年ぶりに戻った。創業103年目の名門企業の改革に挑む(撮影/門間新弥)
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本社の会議室は、すべてがガラス張りになっている。他の拠点のメンバーも交えたテレビ会議は白熱していた。樋口も普段はカジュアル姿。今はスーツにネクタイ姿のほうが珍しいという(撮影/門間新弥)
カラオケのバックで生ドラムを叩くことができる東京・六本木の「ANABAR」は20年来のお気に入りの場所。カンパニーの社長は、社内ではかつて雲の上の存在だったという。樋口は気さくにいろんな社員に声をかける(撮影/門間新弥)
カラオケのバックで生ドラムを叩くことができる東京・六本木の「ANABAR」は20年来のお気に入りの場所。カンパニーの社長は、社内ではかつて雲の上の存在だったという。樋口は気さくにいろんな社員に声をかける(撮影/門間新弥)
人間が好き、みんなと一緒にやるのが好き。「目標を決め、達成し、一緒に喜ぶ。それが成長にも、楽しさにも、幸せにもつながっていくんだと思うんです」(撮影/門間新弥)

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 ハーバードビジネススクールを経て外資系企業へ転じ、日本HPやマイクロソフト社の社長を歴任した樋口泰行。そこから25年ぶりに、新卒で入社したパナソニックに出戻った。任されたのは、大企業病に苦しむパナソニックの改革だった。厳しいグローバル競争のもとで培った経験をもとに、タブーを恐れず、一気に改革のアクセルを踏み込む。

 オフィスの入り口で、樋口泰行(ひぐち・やすゆき 62)は自社製品でもある顔認証端末に顔を近づけた。カチャリと扉が開いて目の前に広がったのは、300人は着席できるフリーアドレスのオフィス。東京・中央区にあるパナソニックコネクティッドソリューションズ(CNS)社の本社では、社員は毎日、好きな場所に座って仕事をする。同社の社長であり、パナソニック専務である樋口も同様だ。社長室はない。社員に交じってフリーアドレスの席で仕事をするのだ。世界で約2万7千人を擁し、売上高が1兆円を超える会社の社長が、である。

「三つの会社で社長を経験しましたが、部屋がない、というのは初めてですね(笑)。でも、やってみたら入ってくる情報量が段違いなんですよ」

 ちょっと今いいですか、と社員が樋口に声をかける。資料も何もない。その場ですぐ相談が始まる。いつもの光景だという。それだけではない。ガラス張りの会議室での会議に、社長の樋口が突然ひょっこりと顔を出すことも珍しくない。

 樋口がパナソニックに転じたのは、2017年。CNS社は樋口の就任とともに組織再編によって誕生した社内カンパニーのひとつで、IoT領域など法人向けのビジネスを手がける。

 樋口の経歴は華麗だ。45歳で日本ヒューレット・パッカード(HP)の社長に就任。47歳で社長兼COOとしてダイエー再建を託された。49歳で日本マイクロソフトへ移り、社長・会長を歴任。だが、新卒で入社したのは、松下電器産業(現パナソニック)だ。25年ぶりの出戻り、しかも役員としての古巣への復帰は大きな話題になった。
 
■社内のカルチャー改革で仕事がダイナミックに変化

 就任後、樋口は次々と改革を行ってきたが、いきなり周囲を驚かせたのが、半年後に本社を大阪から東京に移転させたこと。顧客の多くは東京。なのに、社員がわざわざ大阪から出張していた。外部からの訪問も少なく、情報も入りにくい。明らかにおかしいと樋口は感じた。移転と同じタイミングでオフィスを変え、服装も自由にした。

「同じ格好をしていたら、やっぱり考え方も画一的になるんです。何か暗黙のルールのようなものがあると、多様になれない」

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