樋口が何より重視してきたのは、社内の意識やマインドを変えるカルチャー改革だ。
「一人ひとりが正しいことを正しくやろうという文化を目指せば、自然と正しい戦略も生まれ、組織全体も正しく努力するようになるんです」
樋口の目には、売り上げを増やしたり、利益を上げたり、顧客満足を高めたりする本来の仕事ではなく、社内調整などそれ以外の仕事に社員が忙殺されているように見えた。しかも、それが当たり前になり、何の疑問も持たなくなっていた。
「終身雇用では危機意識も持ちにくい。大企業では大なり小なり、状況は同じだと思います」
しかし、変化するには、どう変わりたいのかを、社員に示す必要がある。オフィスや服装だけではない。中途採用で外資系企業などから専門知識を持った人材を迎えた。ITのフル活用を求め、部署をまたぐ仕事を意識的に増やし、社員の声に上長が耳を傾けられる仕組みを作った。
「そうすると、やっぱり変わるんですよ。みんな協力的になったし、ダイナミックになった。スピード感も出てきた。フロアに来た人は活気に驚きます。別のカンパニーから異動してきて、違う会社に転職したみたいだと驚く社員もいます」
改革が社員に受け入れられたのは、樋口の人柄も大きい。パナソニック常務執行役員ライフソリューションズ社社長の道浦正治(みちうら・まさはる 58)は語る。
「切れ者でクール、敷居の高い人なのかな、と想像している方が多いんですが、会うとあまりのフランクさにびっくりされるケースも多いですね。私もその一人でした。そして、とにかく熱い。今は、いろんなことを真似させてもらっています」
樋口は1957年生まれ。友達の輪になかなか入っていけない、おとなしい子どもだったという。
「父は大学で化学を教えていましてね。民間の世界を知りませんから、とにかく控えめに生きろ、分相応の世界が生きる道だ、が口癖でした」
高校時代、医学部への進学も考えた。ところが、滅相もない、大それたことを考えるな、と叱られた。樋口は地元、大阪大学の工学部に進む。だが、大学に入って反動が始まる。軽音楽部に入ってドラムを叩き、テレビ局でアルバイトをし、旅行会社とタイアップした学生向けツアーを企画した。地道にエンジニアになるより、マスコミなど最も縁遠いと思っていた派手な世界でチャレンジしてみたいと思うようになった。しかし、理系の文系就職は珍しい時代。結局、現実的な選択で松下電器産業に就職を決める。
「でも、本当は納得できていなかった。だから、配属希望を聞かれて、営業と答えてしまったんです。これには人事にも驚かれて。技術系でそんな希望を出す人は当時、誰もいませんでしたから」