そもそも容姿に限らず、人を評価するということ自体についても考え直す必要がある。梶谷教授は、近年さまざまな学校の教育に関わってきた経験を振り返り、東大生に自らの「特殊さ」を自覚するよう訴える。「東大生は勉強などで評価されることに慣れているので、競争は『良い経験』という価値観を持ちやすい」。だが競争することで「やる気が出る」という発想は、「競争で勝った人」だからこそ生まれる。勉強が苦手な人は宿題をやらないかごまかすかだし、模試を受けてもやる気は湧かないだろう。こうした違いを理解し「自分とは違う立場の人間に配慮できるようになってほしい」と呼び掛ける。
■両者ともしっかり対話を
歴史社会学を専門とする赤川学教授(人文社会系研究科)によると、コンテストの賛成派と反対派の主張はジェンダー問題の歴史的展開に沿っている。1990年代までの日本では、ミスコンは「性を商品化」する行為の一環だとフェミニストから批判された。男性が女性を一方的に外見だけで評価し、人格ではなくモノや機械のように扱っている、という見方だ。これに対しミスコンの主催者側は、男性が女性を一方的に評価するという非対称性を緩和するためにミスターコンを始める、人柄も評価対象とする、女性の審査員を採用する、などして応じた。
近年ミスコンは従来のジェンダー秩序を再生産するものとして見られ、ジェンダー秩序の被害者に配慮した非難が主だ。こうした動きは「被害者文化」と見ることもできる。「被害者文化」とは2014年に社会学者B・キャンベルとJ・マニングが提唱した概念で、差別を受けた「被害者」が自らの意見を絶対化し、時に「加害者」に対する実力行使にまで及ぶことを指す。背景には、無意識な差別的言動を指すマイクロアグレッションが問題視され始めたことがある。「ミスコン&ミスターコンを考える会」の主張も「被害者文化」に通じる面があると、赤川教授は考える。