
過去は今につながる──。今回話を聞いた、全共闘世代の女性闘士たちは声を揃えた。
岐阜県大垣市に住む近藤ゆり子さん(71)も、そんな一人だ。
「学生運動があってそこで終わったということでは絶対にありません。学生の運動で終わりたくないから、私は大学を中退した。全共闘運動は生き方全部、社会全部を問うた運動だと思っていますし、その矜持を今も持っています」
生まれは神奈川県。68年に東大に入学した。入学式後のクラスオリエンテーションで、近藤さんはこう言った。
「70年安保を闘うために東大にきた」
だが翌69年1月、安田講堂が陥落。やがて訪れた「学園正常化」の中で、ノンセクトの脆さを実感し、それを超えたいと思った。72年2月、大学に退学届を叩きつけた。その後、「職業革命家」としてある左翼セクトに入ったが、組織に絶望し東京を逃げ出し27歳の時に大垣市に来た。後に結婚する東大時代の活動仲間だった夫がいた。過去を断ち、政治活動とも距離を置き、学習塾を経営した。

転機は、95年に起きたオウム真理教事件だった。
殺人の実行犯となった信者たちが、連合赤軍の「戦士たち」と重なった。オウムの事件は、全共闘世代の自分たちが言葉を探しあぐね次の世代に伝えるべきことを伝えないで放置してきたから起きた。自分たちがしてきたことを自分たちで総括しなければいけない。しかし、整理できない言葉をいつまでも探している時間的余裕はない。言葉でできないのなら運動するしかない──。社会に向き合い、市民運動をやろうと決めた。
ダム建設反対、憲法改悪反対、脱原発……。アクティビスト(市民活動家)として、いま10近い市民運動に携わっている。
「三度の飯より運動が好き」
と近藤さんは笑うが、根底にあるのは「社会をよくしたい、社会正義を実現したい」という思いだ。
夫は98年に肝臓病の悪化を機に亡くなり、一人暮らし。年130万円の公的年金と年15万円ほどの投資信託からの収入で何とか生活できているという。
すでに古希を過ぎた。闘いを終える時はくるのか。
「社会が不条理のままで私の安逸はない、闘わない私は私じゃない。今はまだ、終われない」
(編集部・野村昌二)
※AERA 2020年8月3日号より抜粋