1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は路面電車では定番となった「ワンマン運転」のルーツをたどってみた。
【50年以上前に国内初となるワンマンカーが導入されていた「昭和」が漂う写真はこちら(計5枚)】
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現代では路面電車のワンマン運転は定番になっている。
しかしながら、函館や広島などで不定期に運行される「車掌」が乗務した復元電車に接すると、車掌が肉声で行先案内をしていた往時の車内が無性に懐かしくなる。
いっぽう、大量輸送を担う都市の鉄道では、東京メトロ丸の内線や南北線、東急電鉄池上線や多摩川線、横浜市営地下鉄など、多くの路線でワンマン運転が実施されている。最新のニュースでは、JR東日本・京浜東北線が2024年を目途にワンマン運転に移行することが発表された。少子化による乗務員の確保とコスパの観点からも、同線がモデルケースとなって、他線区のワンマン化を促進していくことと思われる。
都電にワンマン運転が導入されたのは意外に遅く、最後まで残存した27・32系統が荒川線に改称されてからのことだった。
冒頭の写真は1977年に登場した新7000型だ。旧7000型の主要機器を流用して、ワンマンカー仕様の新車体に艤装した車両だ。運転当初はワンマンカーと在来車の混合運転だった。左隣に写っている車掌が乗務する在来車と外観を区別するために、青帯の塗装に変更されている。7000形は31両が就役したが、不足分は従来の7500型16両をワンマン化改造して補い、翌1978年4月に全線でワンマン運転を開始している。
■国内初の路面電車ワンマンカーは…
では、路面電車で国内初となるワンマンカーが誕生したのはどこか?
答えは、1954年の名古屋市交通局(名古屋市電)だ。
閑散線区の下之一色線と築地線で運転され、この路線には尾頭橋(おとうばし)と築地口(つきじぐち)の全線13800mを結ぶ70系統の市電が運転されていた。また、尾頭橋~稲永町の11100mは単線で敷設されていた。
写真は、70系統の区間運転随時系統(尾頭橋~下之一色)である71系統に充当されたワンマン仕様の1700型だ。ワンマン運転を表示する紺帯の外装で、集電装置がビューゲルからZパンタグラフに換装されていた。筆者は下之一色線の撮影と無縁だったため、畏友である元東武博物館名誉館長・花上嘉成氏から所蔵作品をお借りしている。ちなみに、下之一色線と築地線は1937年に下之一色電車軌道と築地電気軌道から名古屋市が引き継いだ路線で、1969年2月に廃止されている。