ひなびた商店が軒を連ねる柳生橋線の終点で、新川に折返す500型ワンマンカー。運転台には手用ブレーキのハンドルが見える。柳生橋(撮影/諸河久:1964年11月1日)
ひなびた商店が軒を連ねる柳生橋線の終点で、新川に折返す500型ワンマンカー。運転台には手用ブレーキのハンドルが見える。柳生橋(撮影/諸河久:1964年11月1日)

 この500形は空気制動装置がないために、手用ブレーキのみを装備していた。警笛は床下に装荷したフットゴングで、床上のペダルを足で踏む仕組みだった。運転士は起立して運転しないと、手用ブレーキハンドルと警笛が扱えないため、運転座席は省かれていた。扉の開閉も手動であるため、運転士側の扉しか開閉できず「前乗り・前降り」の乗降方法だった。車内放送は低電圧電源が得られないため、運転台にある伝声管を使って、吹奏楽器を思わせるラッパ状の拡声器から肉声を車内に流していた。

 ちなみに、豊橋鉄道豊橋市内の本線は東田本線(あずまだほんせん)と呼称されており、全線にワンマン運転が導入されたのは1971年だった。また、柳生橋支線は1976年3月に廃止されている。

 ワンマン運転になった荒川線に乗車すると、録音された無味乾燥な車内放送が聞こえてくる。往時は名滑舌の車掌の肉声に、乗客が喝采を贈った路線もあったそうだ。発車時に聞こえる「チン・チン」という信鈴の響きだけが、旧き佳き日を彷彿とさせる。

■撮影:1977年11月23日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。

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