戦災を免れ、昭和の雰囲気が漂う番町の終点風景。上之町行きの100型ワンマンカーが発車を待つ。(撮影/諸河久:1966年8月1日)
戦災を免れ、昭和の雰囲気が漂う番町の終点風景。上之町行きの100型ワンマンカーが発車を待つ。(撮影/諸河久:1966年8月1日)

■岡山電気軌道に見るワンマン運転の形態

 次のカットは岡山市を走る岡山電気軌道(岡山電軌)のワンマンカーが、番町線の終点番町停留所で発車を待つシーンだ。鋼製ながら古色蒼然とした100型低床式四輪単車が、周囲のひなびた風景と調和している。「ワンマンカー」と赤帯に白抜きされた表示がちょっと控えめで、微笑ましく感じられた。この番町線にワンマン運転が導入されたのは1956年だった。同線は全長900mの単線で敷設された短距離不採算路線のため、経営合理化に向けて白羽の矢が立ったわけである。

 ワンマンカーの車内ショットも紹介しよう。

ご婦人方の談笑で賑わう100型ワンマンカーの車内。運転台の料金箱と後方監視用のミラーがワンマンカーらしい装備だ。(撮影/諸河久:1966年8月1日)
ご婦人方の談笑で賑わう100型ワンマンカーの車内。運転台の料金箱と後方監視用のミラーがワンマンカーらしい装備だ。(撮影/諸河久:1966年8月1日)

 乗客は前扉から乗って、後扉から降りた記憶があるが、今となっては定かではない。運転台には運転士用の座席、料金箱、後方監視用のミラーがあり、空気作動の自動扉操作コックも見える。車内は木製のアンティークな造りで、市内中心部に出掛けるご婦人方で賑わっていた。

 岡山電軌は他に東山本線と清輝橋線の二路線があるが、いずれも複線で敷設されている。番町線が廃止されたのは1968年5月で、現在も盛業中の東山本線、清輝橋線の全線がワンマン運転化されたのが、1970年だった。

■豊橋鉄道のプリミティブなワンマンカー

 愛知県豊橋市を走った豊橋鉄道柳生橋支線は1960年12月からワンマン運転が開始されている。この路線も全長900mの単線で敷設されており、前述の番町線と一脈通じるものがある。訪問時にはワンマン仕様に改装された500型高床式四輪単車が稼働していた。

 次の写真は、終点の柳生橋停留所で折り返しを待つワンマンカーだ。画面右端奥に柳生川が流れており、この電車道を直進すると、豊橋鉄道渥美線と直角に交わる踏切に続いていた。その右手に渥美線の柳生橋駅が所在する。この500型は名古屋市電から譲り受けた戦前製の鋼体化車両。軽快な外観の割に、機能は前近代的な電車だった。ワンマン仕様への改装は最低レベルで施工されたため、「最もロースペックでプリミティブなワンマンカー」といっても過言はない。

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運転台にある伝声管を使って車内放送