似顔絵は昔から好きだった。退屈な授業中、いたずら描きで先生や友達の顔を描いていた(撮影/加藤夏子)
似顔絵は昔から好きだった。退屈な授業中、いたずら描きで先生や友達の顔を描いていた(撮影/加藤夏子)

 窮地の劇団を支えたのは松下だった。小泉純一郎役が当たった。小泉劇場は沸騰し、福本にも政治家の役が回ってきた。当時、防衛庁長官だった石破茂。擦り減るほどビデオを見て口調や仕草を覚え、政治家としての背景を調べた。客席の手応えがあり、官房長官だった安倍晋三の役が来た。退団した先輩の穴埋めだったが、「アベさん」と運命の出会いとなる。

「人物の特徴をつかむのが実にうまい」と座長の渡部は評する。アベ首相は1年でおしまいになったが、アソウ、ハトヤマ、ノダ、と首相役が次々に来た。風刺コントは喝采を浴びたが、舞台裏で揉め事は絶えなかった。給料は遅配、「これでは暮らせない」と創立メンバーが抜け、まとめ役の渡部は糖尿病が悪化して左足を切断した。経営を立て直すため07年に全員が退社、新会社を立ち上げた。再出発を支えたのは松下と福本。北九州を離れ10年が経っていた。

 故郷である広島県神石郡神石町(今は神石高原町)は、山あいの集落を道路が結ぶ過疎の町。駅も鉄道もなく、高校は隣町までバスで通った。ある日、乗り合わせた都会の女性から「こんな何もないところで、あなたたち何して遊んでいるの」と聞かれ、面食らった。

「山を駆け回って、蛇や蛙を捕まえる、なんて答えれば受けるのでしょうけど、フツーの暮らしですよ。学校で友達とバカ話をしたり、家に帰ればテレビや漫画を見たり。変わった暮らしをしていたわけではないけど、都会の人にはすごい田舎に見えるのでしょうね」

 ドラえもんが好きだったが、放映しているテレビ局の電波が入らない。母が教師をしていた分校の宿直室に通って動くドラえもんを見た。家は築100年を超える農家造り、天井の上に泥を敷いた土間があった。冬の作業場で、蚕棚があり根菜を貯蔵する。屋根は茅で覆われていたが、葺き替える人手はなく、小学校の頃トタンで覆われた。ぽつんとした一軒家に兄弟3人と父母、祖父母、曽祖父母の4世代9人で暮らした。

 100歳まで生きた曽祖母は7人の子を育てたが、次男は陸軍に召集され、補給路を断たれたニューギニアで、餓死同然で死んだ。三男は敵前上陸したフィリピンで戦死。駆逐艦で砲手になった四男はミッドウェーで艦と運命を共にした。3人とも遺骨がない。祖父である長男は、終戦直前に召集され、広島の部隊で被爆した。熱線を浴びて目鼻のない遺体を父親(曽祖父)が確認し、爪を持ち帰った。死んだ長男に代わり五男が家長になって福本の父を育てた。

 田畑が少ない山里は、兵隊の供給地でもあった。多くの家庭に戦死者がいたが「4人戦死は広島で2軒」と言われた。居間の梁に4人の遺影が飾られている。お国のために男子4人を差し出した曽祖母は生涯、天皇を許さなかったという。

「戦争や原爆は絶対にダメだ、と子どものころから思っていた」と福本。父・弘昭(78)は、役場で働き、組合活動をしながら地域を駆け回った。分校の英語教師だった亡き母・喜久美は、熱心な家庭訪問で評判の先生だった。ひとのために身を惜しまない父と母は、理屈抜きに尊敬できる人だ。何もできない自分が歯がゆかった。

■ノダ首相を演じたことで、美術に興味を持つように

 少し名が売れるようになり、神石高原町の観光大使を引き受けた。4町村が合併しても人口は1万人に満たない。「消滅の恐れのある自治体」として県内トップ。広島公演で「地元出身」として紹介され、「神石高原町です」といったら笑いが起きた。笑いのネタになるふるさとが残念だった。役に立てればと、メンバーに声をかけ「故郷公演」を3度やった。チケットはなかなか売れない。人が集まらない。力のなさを痛感した。

「人って、どこに居ても歯車のひとつですよね。ならば役に立つ歯車になりたい」

 父や母は地域社会で立派な歯車だった。自分が出来ることはなんだろう。劇場だけでなく、多くのひとと接点を持ちたいと思った。

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