トランプ役の松下アキラは、小倉の市民劇団で出会った「憧れの先輩」。背中を見ながら演劇の道を進んだ。ザ・ニュースペーパーから誘われ、舞い上がる気持ちで一緒に上京した。芸風、個性は全く違うが、今や劇団を支える二枚看板だ(撮影/加藤夏子)
トランプ役の松下アキラは、小倉の市民劇団で出会った「憧れの先輩」。背中を見ながら演劇の道を進んだ。ザ・ニュースペーパーから誘われ、舞い上がる気持ちで一緒に上京した。芸風、個性は全く違うが、今や劇団を支える二枚看板だ(撮影/加藤夏子)

 一座が生まれた88年秋は、昭和天皇が病床に伏し歌舞音曲の自粛が広がっていた。

「催しがつぎつぎにキャンセルされ、これじゃ正月を越せない。だったら、ご時世を逆手にとったコントで稼ごう、ということになったんです」

 一人芸人として活躍する松元ヒロ(67)が言う。日本テレビの「お笑いスター誕生」で常連だった松元らの「笑パーティー」、松崎菊也、渡部ら新劇出身者の「キャラバン」、山本、浜田太一ら「ジョージボーイズ」がいた。みな食えない。合体して「ザ・ニュースペーパー自粛版」という舞台を始めた。新宿の地下劇場で、世間に隠れるように「笑い」を求める人の滑稽さを演じた。「右へ倣え」の音曲禁止への抵抗だった。

 新右翼団体「一水会」の代表だった鈴木邦男(76)は「権威に刃向かい、皇室もタブーにしない。笑いは勇気がいる、と感心しました」と振り返る。

 昭和から平成へと変わる代替わりもコントにし、隠れたヒットになった。88年は消費税導入が決まり、政財界を巻き込むリクルート事件が表面化。年末に竹下内閣が瓦解、政治ネタは喝采を浴びた。庶民の怒りを笑いに変えて、ザ・ニュースペーパーは「反権力」を強めながら平成へと突入した。

「亀有署から電話があって『あんな演劇を公共施設で本当にやるのか』と警告めいた問い合わせがありました。偏向していると見られていたのでしょうね」

 当時、東京都葛飾区の区民センターで責任者をしていた大嶋正(66)はいう。「問題ないと思いますが」と返事して終わったが、「毒のあるコント」が受けていた時代だった。

 その頃、福本は九州国際大学の学生だった。就活を前に、気持ちの整理がつかない。中学や高校の部活でも、大学受験も、やりきった手応えはなかった。こんなまま大学を終えてしまうのか。

「劇団員募集」の広告が目にとまったのはそんな時だった。演劇は母に連れられて見に行った覚えがある。「はぐるま座」という劇団が地元に来て「蟹工船」を演じた。芝居はわからなかったが、終わった後、役者たちがてきぱきと片付けをする姿が印象的だった。「次の街に行き、また劇をするのか」。そんな生き方が眩しく思えた。「あんなふうな生き方もいいと思う」と日記に書いた。

 福岡・小倉の稽古場を訪ねた。仕事を持つ人たちが勤務後や休日に練習する20人足らずの劇団。松下に出会ったのは、その頃だった。ボディービルで鍛えた体に長髪、張りのある声。看板職人をしながら脚本を書き、舞台活動をするカッコいい先輩だった。交通事故で入院した時、見舞いに来て「今度一緒に舞台をやろうな」と声をかけてくれた。松下が書いた脚本で二人芝居「おにごっこ」を共演した。何にも代えがたい思い出である。

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 卒業後、上場企業の福岡支店で働く。食材のトレーを商社や問屋に納める営業。一生の仕事にできるだろうか、と思うと自信がなかった。舞台の手応えが忘れられない。翌年夏、ボーナスで貯金が100万円に達し、退職願を書いた。サラリーマンを捨て、松下の後を追った。地元放送局に出演するなど九州では少しは知られるコンビになった。そんな2人に「東京に来て、やらないか」と声がかかった。97年春。福本26歳、松下33歳。

 ザ・ニュースペーパーは解散の危機にあった。持ち味が違う役者集団に亀裂が生じ、主力がごっそり抜けた。面接した寺田はいう。「一目見て、アキラは欲しいと思った。ヒデの印象は薄かったけど、裏についてもらおうと」。音響や配送など劇団には裏方の人手が欠かせない。

「東京行き」が決まり、「翼が生えたような気持ちだった」と福本は振り返る。不安はあったが「カネのことを言うのはやめよう」と誓った。

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